3月9日(水)夕方母は無事退院しました。
そしてこの日は、前日まであんなに暖かかったのに寒くて
雨。私の2クール目最後の抗がん剤治療日でもありました。
実は退院は早くて今週末、若しくは来週月曜日と考えて
ました。しかし3月7日(月)病院での退院前の打ち合わせ
の時、(病院スタッフ、ケアマネ、ディサービス、
ヘルパー等々介護サービスを使う事業所も同席して、退院後
の在宅生活の話し合いをします。)
婦長さんから最近母は行動が活発になり、特に危険なのは階段
を降りようとすること。なかなか目が届かないので、出来れば
早く退院して欲しいと言われました。
そうかぁ、じゃあしょうがない、母も早く家に帰りたい
と言ってるし、段差の昇降も問題なくできるようになった。
ということだしと、早々の退院を決めました。
当日18時30分頃病院へお迎えに、清算を済ませて病室へ
行くと、母はすっかり身支度を済ませ、パジャマに上着を
着て、杖を片手にベットにちょこんと座ってました。
入院中の荷物も全てまとめてありました。
(看護師さんに手伝ってもらったのでしょう)
荷物を全て車に積み込み、今回は、母は自分で車に乗り
(この病院に転院してきた時は、自分で車の乗り降りが
できませんでした。私は手伝わず、ただ見守りだけ)
自宅に到着。同じく車から自分で降りて、玄関ポーチの階段
上がり框の階段も難なく自身でクリア。
約1ヶ月半振りの自宅、母は早速コタツの定位置に座り
私が片付けている間に、メモ用紙に何やら書いていた。
『晩ご飯お願いね』と
いつもの私なら『もう、食べたでしょ!』と怒って
言うところだが(病院で夕食を済ませている)
簡単に用意できそうなメニュー
『カレーと親子丼どっちがいい?』と聞き、希望の親子丼
+イチゴを用意、そして母は2度目の夕食を半分完食。
ついでに冷蔵庫を開け、大好きなプリンを見つけ1個完食。
入院前の母と比べたら、動作も話し方もゆっくりで、全ての
動作に介助、見守りが必要だけれど、ここまで回復できたのは
ヤッパリ奇跡に近い事だったと思う。
今回の出来事はもしかしたら
私に与えられた、考えさせられた、やり直しのチャンス
なのかもしれない。親不孝だった私のやり直しのチャンス
以前の私よりもう少し母に優しくなれるチャンス
そして、何より私は母より長生きしなくてはならなず
それは私の生きてく明確な目標でもあり、
それは母の為にではなく、自分自身の為であり
再出発のチャンスを与えられたのだと思う、
これは私自身が常に思っていた事だけど、特に同性の親の衰え
は、中々受け入れられないのではないのだろうか?
私は認知症を患った母を認めることができず
腹を立て、できないことに怒っていた。
頭で理解していても、感情がついていかなかった。
これからは、もう少し穏やかに母に接することができる自分
になれることを、期待したい。
多分できるはず。
ぴょん『お母さんのお母さんが帰ってきたにゃん。
病院でも僕のこと忘れてなかったって、ヨカッたにゃん。』
そしてこの日は、前日まであんなに暖かかったのに寒くて
雨。私の2クール目最後の抗がん剤治療日でもありました。
実は退院は早くて今週末、若しくは来週月曜日と考えて
ました。しかし3月7日(月)病院での退院前の打ち合わせ
の時、(病院スタッフ、ケアマネ、ディサービス、
ヘルパー等々介護サービスを使う事業所も同席して、退院後
の在宅生活の話し合いをします。)
婦長さんから最近母は行動が活発になり、特に危険なのは階段
を降りようとすること。なかなか目が届かないので、出来れば
早く退院して欲しいと言われました。
そうかぁ、じゃあしょうがない、母も早く家に帰りたい
と言ってるし、段差の昇降も問題なくできるようになった。
ということだしと、早々の退院を決めました。
当日18時30分頃病院へお迎えに、清算を済ませて病室へ
行くと、母はすっかり身支度を済ませ、パジャマに上着を
着て、杖を片手にベットにちょこんと座ってました。
入院中の荷物も全てまとめてありました。
(看護師さんに手伝ってもらったのでしょう)
荷物を全て車に積み込み、今回は、母は自分で車に乗り
(この病院に転院してきた時は、自分で車の乗り降りが
できませんでした。私は手伝わず、ただ見守りだけ)
自宅に到着。同じく車から自分で降りて、玄関ポーチの階段
上がり框の階段も難なく自身でクリア。
約1ヶ月半振りの自宅、母は早速コタツの定位置に座り
私が片付けている間に、メモ用紙に何やら書いていた。
『晩ご飯お願いね』と
いつもの私なら『もう、食べたでしょ!』と怒って
言うところだが(病院で夕食を済ませている)
簡単に用意できそうなメニュー
『カレーと親子丼どっちがいい?』と聞き、希望の親子丼
+イチゴを用意、そして母は2度目の夕食を半分完食。
ついでに冷蔵庫を開け、大好きなプリンを見つけ1個完食。
入院前の母と比べたら、動作も話し方もゆっくりで、全ての
動作に介助、見守りが必要だけれど、ここまで回復できたのは
ヤッパリ奇跡に近い事だったと思う。
今回の出来事はもしかしたら
私に与えられた、考えさせられた、やり直しのチャンス
なのかもしれない。親不孝だった私のやり直しのチャンス
以前の私よりもう少し母に優しくなれるチャンス
そして、何より私は母より長生きしなくてはならなず
それは私の生きてく明確な目標でもあり、
それは母の為にではなく、自分自身の為であり
再出発のチャンスを与えられたのだと思う、
これは私自身が常に思っていた事だけど、特に同性の親の衰え
は、中々受け入れられないのではないのだろうか?
私は認知症を患った母を認めることができず
腹を立て、できないことに怒っていた。
頭で理解していても、感情がついていかなかった。
これからは、もう少し穏やかに母に接することができる自分
になれることを、期待したい。
多分できるはず。
ぴょん『お母さんのお母さんが帰ってきたにゃん。
病院でも僕のこと忘れてなかったって、ヨカッたにゃん。』