最近読まなくなったブログ、いわゆる標準治療、西洋医学
を否定する類のもの、たまに流し読みすることがあります。
私が無治療(代替治療)全盛期だった時代、貪るように
そうそうと頷きながら、何度も繰り返し読んでいた記事です。

中には医師自らが、がんの標準治療を批判し
(そう言い切って言っていいかどうかは読者が判断する
ことだけど)体の免疫力アップに、代替治療の奥深さを
情報発信しているブログ記事もあります。

世の中は表現の自由がある程度認められていて、人それぞれ
考え方が違うので反論するつもりもないけれど、確かに医師の
ブログ記事というだけで、医師ではない私の様な凡人は
つい信じてしまいます。

先日そんな記事を読んで、ふと考えたことがある。
実はこの人達も、逃避から現在の位置に着地したのでは
ないのだろうか?と
医師として全盛期の時代、多分20年以上前だと思うが
医師として『がん治療』に携わり、抗がん剤等治療に苦しむ
患者を看てきたのでは?治療しても再発し亡くなっていく患者を
目の前にしてきたのかもしれない。
そして医療の限界を感じたのかもしれない。

例えば、自論の対象が緩和医療、自己免疫力や治癒力で
いずれ治るような病に、自己免疫力を高める健康法等に
統合医療という考え方に対してならばいいけれど、
標準治療を否定し、がんという病の治療を十把一絡げで
唱えるのは如何なものだろう。

いじわるな見方をすれば

代替治療、無治療の世界には、壮絶な死は存在せず
何故なら、悪化の途を辿れば最終的に病院へ向かい
代替治療、無治療の選択は個人の責任に委ねられる。
だからどんな結果であろうと自己責任となり

この自論を信じ、無治療に代替治療に走った人達の
最悪の行く末の責任を取る必要もなく、目にすることもない。
代替治療は素晴らしいとばかり伝え、しかし信じた結果、
悪化し、手遅れになっていった人達もいることには
一切触れていない。

だから私はツッコミを入れたくなる。自分ががんに罹り
自分の推奨する治療を選択して、完治したなら信じよう。
経験していない事を、どんなに力説したところで
所詮、無責任な意見にすぎない。





ぴょん『入念なお手入れしたら』





ぴょん『お休みだにゃん』