最近TV番組でがん関連の番組を立て続けに見かけました。
日頃は帰りが遅く、TVも殆ど観られない日が続きますが
私が目にした番組は休みの日に放映されたのだと思います。

一つは、がんサバイバーの芸能人が出演していた番組
これはどおってことのない番組だったので、チャンネルを
変えてしまい
そしてもう一つ、夜中の2時頃ドキュメンタリー番組。
パチンと夜中に目が覚めて、TVを付けたらこの番組に遭遇
しました。番組の途中で尚且つ寝ぼけ眼で観ていたので、
記憶は曖昧ですが、愛知県下に住むがんに罹った高校生の
男の子の番組でした。

入院中の彼は、抗がん剤の治療をしていました。
途中から観たので、何のがんであるのか病名は分かりません。
勿論、彼は自分ががんであることは分かってます。
抗がん剤治療も長期に渡ってのようでした。
そんな中で、医師が彼に向かってこのまま治療を続けるのか
どうするのか?そう問う場面がありました。
このまま続けても良い結果が得られないと思われる。
辛い治療を続けるのか?
そして治療を止めたら何ヶ月生きられるのか
そんな話もしたようでした。

その問いに対して彼は、まだ自分は生きる望みにかけたいと
彼の口からどんな言葉が発せられたのか、残念ながら記憶に
ないのですが、自分は生きるために治療は続けたいと
そのような言葉だったと思います。

そして彼は再び辛い治療を始め、場面は病室内での学校の
授業の様子に移ります。長期で入院している学生のため
学校から先生が派遣されて授業を受けられるのです。
丁度美術の授業だったようで、彼は可愛らしい猫の絵を
描いてました。何となく描かれた猫に自身を投影している
ような、そんな印象を受けました。

実は彼の目的、それは病院に学校の先生が派遣されて
授業を受けることができるようになること。
その制度が愛知県にないことにより、自らが、同じような
境遇にある学生の為にその制度を定着させたいと、発起
したということのようでした。
その彼の願いは叶ったようです。

その後、治療を止める決断をします。
医師から余命宣告を受けた彼は、家族のために
治療を続けることを選びました。それから自分のために
家族のために残された日々を家族と共に穏やかに
暮らすことを 選びました。
番組は家族と共に病院を去る場面で終わります。

『余命宣告』がんの告知も辛いけれど、それよりも
ずっと重くて辛すぎる宣告。番組ではアメリカでは子供にも
余命宣告をすると伝えてました。
この世に生を受けて十数年で人生が終わる。
それを高校時代の自分に置き換えると、受け入れるどころか
考えることすらできない。思考停止。

番組の彼は眈々と医師と言葉を交わしていました。
感情高ぶるのでのなく、悲しみを表すのでもなく
自身の中に、この現実をどのように受け止めているのだろう
穏やかに語る彼の口調に、本当の気持ちを伺うことはできない
迎え入れる死にフォーカスするのではなく、今ある生に
気持ちをシフトさせる。とてもむつかしいこと

10代は大昔に過ぎ去ってしまった現在の私であっても
余命宣告を受けたら、冷静さを失い、
限られた日々を精一杯生きようと、そんな模範回答はだせても
現実はただただ、残された日を過ぎ去るままに流されて
喪失感で毎日を送ることになってしまうかもしれない。

だからこそ現在乳がんであるけれど、完治は難しくとも
治療ができ、身近に訪れる死を感じずにまだ何年かは
生きられることに感謝したい。そして、一日一日を
流されることなく大切にしたいと思っている。






ぴょん『ふぅ~』





ぴょん『雨の夜はアンニュイだにゃあ』