2015-03-01 19:58:23NEW !
テーマ:日常
長いようで短かった一年、2月16日、晴れて仕事
復帰を無事果たすことができました\(^o^)/
あれから2週間、もう、3月、春はすぐそこまで来ている。

仕事は、まだまだ完全復帰とはいきませんが、ぼちぼち
やって行こうと思ってます。 仕事に戻ったおかげで、夜は
夜中に目が覚めることもなく爆睡、熟睡できることは体に
とって、とってもヨイコトです。

実は仕事復帰は2回目、会社の長期休職は2回目
だから仕事復帰も2回目
一度目は乳がんが発覚時した年の10月から3ヶ月。
当然、最初から標準治療は拒否(代替治療はしていたけれど)
していたので、あの頃は丸山ワクチンを打ちながら、そこそこ
ハードな仕事をしてました。
週三回病院へ通いは不可能なので、私の場合、自己注射
してました。

2012年3月末に乳がんが発覚(ステージⅡb)と云えども、
それこそ心はどん底から、なかなか這い上がれなく
体に目立つ自覚症状があるわけではもなく、でも何かをして
気を紛らわせなければオカシクなりそうで、兎に角仕事は
ずっと続けようと思い、もしかしたらそれは、仕事に逃げて
いたといっても、過言じゃなかったでしょう。

私の仕事は、介護の必要な方、身障者の方々に住宅改修を提案
すること(一応、建築+介護の知識を持ってる建築士です)
訪問するお客様は、何らかの病気を患っている方が多く、
勿論、末期がんの方もいらっしゃいましたが、多くは一時的な
骨折とかの軽度の方も多く、それこそお客様には申し訳ない
けれど、『あ~、私の病気の方が深刻だよな~』と心密かに
思ったものでした。

私が最初に休職しようと思ったのは、やっぱり今まで働き過ぎ
だと思ったからで、治療もしないまま仕事を続け、でも免疫力
を上げる生活をして がんがこれ以上進行しないようにと、
あわよくば、この免疫力でがん細胞をやっつけられたらと
そう思ってました。そして、何らかの代替治療を探すに
暗中模索状態でもありました。
今思えば、あの頃、自身が乳がんであるということが、毎日
24時間付き纏うこのストレスは、相当のモノだったのでは
ないでしょうか。

そんな中、やっぱり働きすぎだよなと、ついつい無理して
しまう自分に見切りをつける為に、免疫力を高める生活をする
為に、そして自身の生活、心をを見直す為にも、休みを
取ろうと思ったのが夏頃、そこから仕事をズルズル引きずり
ながら、休職に入ったのが9月の終わりでした。
12月いっぱい迄休み、1月から復職予定でした。
それこそ標準治療を受けるわけでなく、兎に角、休息したい
から休職。そんなワガママな希望を受け入れてくれた会社
にはとても感謝しています。

そして2度目の休職、昨年の2月10日から休職しました。
あの頃の私は、秋頃から体調も悪化のスピードの速さを感じ
仕事ではトラブル続き、確か電話で毎日のように謝って
ましたね。この仕事のトラブルのストレスも、悪化に輪を掛け
たのだと思ってます。しかしこの仕事のトラブルは、私に原因
があり、復帰の時、会社側は内勤の仕事を勧めるましたが、
私のわがままで、発症前の仕事に戻り結果、病状が悪化
まさに自業自得です。
体調の悪化、精神的にもかなり追い詰められていたので
今思うと、もしかしたら私は、鬱になりかけていたのかも
しれません。だから2度目の休職は、必ず体調を回復させると、
強い思いを持ってました。
ニモカカワラズ、標準治療を受けようとは思ってません
でしたが、マクロビの食事療法をおこなってる病院を見つけ
そこで2、3ヶ月療養すれば必ず良くなると信じて、藁をも
掴む思いで入院を決めました。

上司に入院するから2、3ヶ月休職したいと告げた時、
3ヶ月でいいのか?それでよくなるのか?いっそのこと
1年ぐらい休んだらどうかと言われました。
1年休めたら、何とかなるかもしれない、それだけ時間が
あれば、具体的な方法は考えつかなかったけれど、この1年
長い休暇を得たことが、私に大きな変化を与えたのだと
思っています。

仕事復帰、私はもう、昔のようにバリバリ働ける身体でもなく
一般的に考えれば、多分、会社にとってマイナス因子の社員
であろうと思います。それこそ今は、二人に一人ががんに罹る
といっても年代的にみれば、働き盛りの人ががんに罹る確立は
少ないでしょう。当然、会社内ではマイノリティ。
まして私は、自身の考えで悪化させ、多分一生、がんと共存
する生活をしなければならない。
私のワガママで病気を悪化させ、会社に、仕事に迷惑をかけ、
それなのに一年と三ヶ月休職期間を頂いた。
会社によっては、退職せざるをえないかもしれないだろう。
そんな私を快く思ってない人も多分いる。
何故なら私は一年前、休職する前、肉体的にも、精神的にも
かなり参っていて、立つ鳥跡を濁さずどころか、それこそ
跡を毛散らかして休職に入ったからだ。

一般的にがん患者の就労は、なかなか理解を得られないことが
多い、何故なら普通の病気と異なり、完治しても
がんの種類によっては、その後抗がん剤治療が長く続くこと
がある。そして、完治しても再発の恐れがずっと付き纏う。
定期的な検査もある。完治しても、『The end』ではない。
再発しながらも治療を続けながら、働いている人達も多い
だろう。何故なら、治療には高額な医療費がかかるからだ。
生活もしていかなければならない。現実的にお金はとっても
必要なモノ。しかし無理はできない、ストレス、 乱れた
食生活そして睡眠不足 、体を酷使することは、がん患者に
とって厳禁、たまにはいいかもしれないけれど、ずっと続く
ことは、それこそがん細胞を喜ばすだけ、命を縮めること
となる。

私の会社は、介護の必要な方達の為にが仕事の内容です。
一般的にいわれる、社会的弱者(この言い方が良いのかどうか
わからないが)の方々がお客様でもある。
皮肉にも私は、会社内ではその弱者になってしまったのだと
強く感じてしまう。今の自分は、多分会社にとって一人前に
仕事ができないでいる。それこそ忙しく、昼食を
食べる時間もなく、遅くまで仕事をしている同僚に対して
申し訳ない気持ちが、一人前に仕事ができないことに、
罪悪感を拭いされないでいる。だからといって、ー仕事を失う
わけにはいかない。このジレンマの真っ只中にいるのが、今の
私です。(まぁ、収入も4割くらい減ったので少しは気が楽?〕

しかし、私は家に帰れば、家事もするし、要介護3の母の
ケアも少しばかりしている。わがまま息子のぴょんの
お母さんでもある。乳がん患者だけれど、いろいろ忙しく
やっている。
ダカラこそ、他人にどう思われようとも卑屈にならず、
胸を張って社会に関わりたい。
『へぇ~結構偉いじゃん、ワタシ』と言える自分でいたい
と、そう思っている。

社会が、世の中が、がん患者にとって、いえ、がん患者に
関わらず、社会的弱者といわれる人達に、妊娠中のお母さんも
働きやすく、就労できる、社会に受け入れられる、理解される
ようになればと願っている。それはもしかしたら、一人一人が
受け入れ、理解し、寄り添うことができれば、
とっても簡単なことなのかもしれない。

ー最後に改めて、今の会社に職場人達に感謝をー




ぴょんのお腹の


ぴょん毛は


とっても、もふもふで


気持ちいいにゃん