早いものでもう8月、仕事を休職して間も無く半年経ちます。時の過ぎることの早いこと

最近の体調は
相変わらず両手の痺れ(小指以外の指)があります。特に朝は手の強張りもあり
朝一番のゴミ出しは、ゴミ袋が重いと結構辛いです。
手の強張りは時間と共に(手を使うと)解消されますが、手を使わないと
強張ったまま、使い過ぎもよくないし、さじ加減がむつかしい

痺れはずっと続きます。
手の痺れはあっても出来ないことは殆どないけれど
指の感覚ってバカにできません。
小さなモノを掴むこと(お財布の中の小銭、ボタン等)
バックの中をガサゴソ車の鍵等探すこと、それから掴んだモノを落としやすい
実はコレ、全て指の感覚に頼ってたんですね。
この原因が手根管症候群かどうか?は7日に検査の結果でわかります。

しかし手の痺れは乳がんの病に比べれば、どおってことはない。
コレがたとえ抗がん剤の副作用であっても平気

本命の病の方は6日水曜日が通院日、5クール目の結果が分かる。
今まで順調に 腫瘍マーカーが下がってきたが、そろそろ打ち止めかなぁと
前回で殆ど正常値に近いとこまで下がったからね、あとは上がらない事を祈るだけ
実はここ最近いや~な感覚を両腋下部分に、両腋下リンパ節に転移しているが
後から転移した左の腋下はもう触診ではシコリの存在は消えている。
右腋下は最初から転移してたのでシコリというか全体的に固くなっている。
その腋下部分にたまに突っ張る様な痛みを感じることが
私の体の中でがん細胞が暴れてなければいいけどなぁと願う

私の体の中の何十兆もの細胞は、抗がん剤で少しばかり痛めつけられている
けれどもこの一瞬の間にも、がん細胞と闘っているだろう。
私はその細胞へ、がんと闘って犠牲となった細胞達に感謝をしなければ
『ありがとうございます』と伝えたい

さて、前置きが長くなりましたが今回のタイトルは『あたりまえ』
ある方のブログで『ありがとう』の反対後は?

『あたりまえ』であると

私達は『あたりまえ』のことに殆ど感謝をしないことが多い
『あたりまえ』の事に改めて心にとどめることがあるだろうか?

三度の食事ができること
住む家があること
家族がいること
友人がいること
日々安全に平凡に生活を営めること
仕事が、働く所があること
健康であること
今苦しみを、痛みを感じずに生きていること

このあたりまえのことに『ありがとうございます』
そう伝えたいと………そう思うのです。

そして最後に

ある中学生の『答辞』を紹介します。ご存知の方も多いと思いますが
東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市立 階上(はしかみ)中学校の卒業式で
梶原雄太さんの読んだ「答辞」です。
前文の私の記事はザァっと飛ばし読みしても、この『答辞』は一語一語かみしめて
読んで頂きたいと……… 心に響く、とても深く、こころ洗われる文章です。

階上中学の卒業式は3月12日、つまり震災の翌日に予定されていましたが
10日遅れて3月22日、 同校の体育館で行われました。
卒業生の内一人は死亡、二人は行方不明という悲しい状況のなかでの卒業式でした。

「答 辞」 今日は未曾有の大震災の傷も癒えないさなか私たちのために卒業式を
挙行して頂き有難うございます。
ちょうど10日前の3月12日、春を思わせる暖かな日でした。
私たちは、そのキラキラ光る日差しの中を希望に胸を膨らませ、
通いなれたこの学舎を57名揃っ て巣立つはずでした。
前日の11日 一足早く渡された思い出の詰まったアルバムを開き
10数時間後の卒業式に思いをはせた友もいた ことでしょう。
「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こるとも知らず......
階上中学といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され
十分な訓練もしていた私たちでした。
しかし 自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、
私たちから大切な物を容赦なく奪っていきまし た。
天が与えた試練というにはむご過ぎるものでした。
辛くて、悔しくてたまりません。
時計の針は14時46分を指したままです。 でも時は確実に流れています。
生かされた者として顔を上げ
常に思いやりの心を持ち 強く正しくたくましく生きて行かなければなりません。
命の重さを知るには大き過ぎる代償でした。
しかし
苦境にあっても
天を恨まず
運命に耐え
助け合って生きていくことが
これからの私たちの使命です。
私たちは今 それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。
どこにいても 何をしていようとも
この地で仲間と共有した時を忘れず
宝物として生きていきます。
後輩の皆さん
階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が如何に貴重なものかを考え
いとおしんで過ごしてください。
先生方、
親身のご指導有難うございました。
先生方が如何に私たちを思って下さっていたか、今になって良く分かります。
地域の皆さん、
これまで様々なご支援を頂き有難うございました。
これからも宜しくお願いいたします。
お父さん
お母さん
家族の皆さん
これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。
必ず良き社会人になります。
私は
この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に
本当に 本当に 有難うございました。
平成二十三年 三月二十二日
第六十四回卒業生代表 梶原 裕太



ぴょん: アジだ!いっただき~、そぉっ~と、そぉっ~と近づいて


ぴょん:見つからないよう慎重に、視線そらしてっと


ぴょん: バレちゃいました、グスン;_;