「その日」からのこと ~7~ | ラミーの日記

「その日」からのこと ~7~

ううう。

こまめに更新したい気持ちは山々なのに、なかなか…。

 

記憶も薄れてきてますがな!(笑)

(ま、ちゃんとメモっているんですけども)

 

 

成人の日の三連休明けも、忌引き休暇を取っていました。

長期連休の人もいたりしたので、この1月9日からが、世間も実際に動き出すという感じでしたね。

 

↓↓ 父の日のお花です。

いつも行くお花屋さんに、前月に母のことを伝えていました。

そしたらヒマワリをおまけしてくださいました^^。

 

 

この日から、本格的に手続き関係を開始しました。

 

まずは岡山市の「お悔み窓口」に予約の電話を入れました。

居住区でなくても、最寄りの区役所窓口に予約をしておくと、必要な手続きをワンストップで教えてくれます。

どうしても場所を変えないといけない場合も、どの窓口に行けばいいのか教えてくれる、非常に便利なサービスです。

 

 

そしてこの日が『初七日』に当たるので、住職さんがお参りしてくださいました。

その時に戒名の由来や、四十九日法要に必要な準備などを聞きました。

住職さんの話と母が書き残した『法事メモ』を照らし合わせていくと、だいたいの流れが把握しやすかったです。

四十九日は、2月の建国記念日あたりの連休に行うことにしました。

 

 

(ここからは、母の刺繍道具たちです)

 

 

その日の夕方に、法務事務所へ。

今後必要になる『相続関係図』の作成のお願いに行きました。

もともと顔見知りだったので、いろいろな話を聞いてもらいながらお願いをしてきました。

 

この『相続関係図』の作成に合わせて、母の出生から死亡までの戸籍謄本と、私たち子どもの戸籍謄本の取り寄せも併せてやっていただきました。

ここを自力でされる方もいるようですが…

仕事をしながらだとそんな時間はない!のと、委任状を渡して士業の方にやってもらう方が、窓口の方もスムーズなんだそうです。

なので、私は丸っとお任せすることにしました。

 

 

(刺繍糸の数々…)

 

 

1月10日は、忙しかったなあ。

 

まず取り急ぎ母と私の親子関係の分かる戸籍謄本があった方がいいらしいようなので、赤穂市役所へ行きました。

そしたら!!!

死亡届が出ているものの、その情報がまだ戸籍には反映されておらず、手続き中で取得不可と言われました…

仕方なく、郵送してもらうように手続きをして帰宅。

 

次に、最寄りの警察署へ行きました。

母の運転免許証の失効の手続きをしました。

運転免許証に穴を開けて返してもらるので、いまはそれを車に積んで交通安全のお守り替わりにしています。

 

次に携帯電話のキャリアへいきました。

スマホのばあい、キャリア解約をしてもWi-Fiがつながる環境下ならLINE通話やインターネット通信などは可能なんですよね。

…まあ言われてみれば、そうだわね。

なので、キャリア解約をしても支障が無さそうなので解約しました。

これは死亡診断書や火葬証明書の写しがあればすぐにできます。

 

 

 

あとは入院していた病院へ、精算方法の問い合わせ。

(後日連絡しますとのこと)

 

そうしていると、区役所からお悔み窓口に行く際の準備物の連絡がありました。

私の身分証明書や口座の分かるもの、母の年金手帳や保険証などなど…

 

その電話の後に、クレジットカードの解約とJAFの解約。

 

ひたすら電話をしまくっていました。

 

そのあとの数日でやったことは、以下の通り。

・障がい者手帳と駐車票の返納

・美容院の年パスの解約

・バスカードの返納と返金

 

そんな中で、一番面倒だったのが…JA共済でした。

他の保険は、電話で問い合わせて本人確認と間柄がわかったら手続き方法や、その保険が有効かどうか教えてくれるんですけどね…

 

JA共済は、その保険が有効かどうかも教えてくれない!!!

窓口に来てください、の一点張り。

 

いやいや…もしかしたら解約済かもしれへんのにやな…と思いましたが、仕方ありません。

忌引き休暇のうちに、かつて通った小学校区にあるJAの支所まで行くことにしました。

 

 

 

なんやかんややっていたら、あっという間に一週間が過ぎました。

…月曜が休みだったので、実質四日間ということもあったからですけどね。

 

 

毎日、電話と窓口とのやり取りをして、疲労困憊でした…

寂しいとか哀しいという気持ちもあるのですが、忌引き休暇のうちにある程度の手続きの目途をつけたいという焦りもあって、なんかもう、情緒ぐちゃぐちゃって感じでしたね。

 

おかげで、夜は電池が切れるかのように寝落ちしていました。

 

 

その合間(?)に、母へのお膳も作らないといけないし…

とはいえ、毎日は無理!

逮夜が月曜なので、それも無理!

なので毎週日曜日に、お膳を作ることにしました。

 

 

1月15日に区役所のお悔み窓口に行くと、本当にいろいろと丁寧に教えてくれました。

年金のこと、介護保険のこと、後期高齢者医療保険のこと…

同じタイミングで、私より少し年上の男性も待っていました。

ああ…この方も親御さんを亡くされたんだろうな…一人で窓口に来るのは、やっぱりちょっと心許ないよな…な~んて、ちょっと思ったり。

 

色々と言われがちなお役所の手続きですが、実質的に窓口に行ったのはこの日だけでした。

あとはすべて、郵便物のやり取りで済むようになっていました。

金融機関の方が面倒ですね…

 

 

そして、1月16日から仕事に復帰しました。

「仕事に行く」ということは、本当に大切なことだなと思いましたね。

 

忌引き休暇中は、まあ、母が亡くなったということしか考えないわけですよ。

 なんでこうなったのか

 何かできることはなかったのか

 居なくなって寂しい、哀しい

 

…という感情面と、

 

 あれもやらないといけない

 これも書かないといけない

 次はここに電話せなあかん

 

…という、手続き的なことと。

 

 

でも、仕事に行って仕事をしていると、仕事のこと以外考えないんですよ。

もうすっかり母のことは頭から消えてしまっているんですよね~。

 

この時間がどれほど心の負担を軽くしてくれたかわかりません。

 

 

 

そうはいっても、母が最期にいた病院が通勤途上にあるので…

朝はともかく、夕方は(まだこのころは日が暮れるのが早かったので)病院の灯りが煌々と照っているのを見ると、泣けてしまいました。

 

そしてマンションが見えてきても、灯りがついていないという現実に、打ちのめされそうでした。

 

 

 

そして、この先本当に一人でやって行けるのだろうか?

こんなに寂しくてつらい思いは、いつになったら軽くなるんだろうか?

なんでこんな思いをしないといけないんだ?

 

…と、そんなことばかりを考えていました。

 

 

 

それでも、忌引き休暇中から週末のたびに、連れだしてくれる友人がいてくれたことが本当に救いになりました。

 

一人で居たら、もうほんと、耐えられなかったと思います。

 

 

 

こんな感じで、とにかく電話と手続きに追い立てられる1月を過ごしていました。

 

 

 

 

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今回写真に載せた刺繍道具は、北海道で刺繍をされている方がすべて引き取ってくださいました。

 

ユーリスコー select shop Ευρισκω

函館/書籍雑貨販売/「東欧の刺繍を楽しむ会」で手芸講座&展示イベントを企画主催/6/21ハンガリーの刺繍講座@コープさっぽろ いしかわ文化教室/6/22函館道新文化センター五稜郭教室/7/14刺しゅうサロン@函館市地域交流まちづくりセンター

 

 

母と私が一緒にフォローしていたのですが、いつもきれいな刺繍を二人で「すごいなあ」と見ていました。

未使用の刺繍の道具類を活かしてもらえないかと聞いてみたら、母の使っていたものならぜひにと言ってくださいました。

 

母が大好きだった刺繍を、これからもずっと誰かが続けてくださるというのが、本当にうれしいです。