「その日」からのこと ~5~ | ラミーの日記

「その日」からのこと ~5~

4月の終わりごろに、叔母からアマリリスの鉢を貰いました。

 

毎年この時期に、叔母から母に送っていたものです。

今日は、その様子とともに記録していきます。

(でも、だんだん記憶が薄れてきているわw)

 

 

葬儀の日はお天気がよく、1月としてはとても暖かい日でした。

全部で16名ほどというとても小ぢんまりとした式でした。

 

下の弟のところの甥っ子(その当時で小学2年生と年長さん)たちも、なんとなく「ちゃんとしていないといけない雰囲気」を察して、神妙な顔つきでした。

 

葬儀の終盤、祭壇を埋め尽くしていた花を母の棺に入れていくのですが、もう花だらけ。

これでもか!というくらいに、お花いっぱいでした。

その時に、それまでずーっと静かだった小学2年生の甥っ子が号泣し始めました。

 

「おばあちゃんにもう会われへんやんか~!!」

 

これは、ちょっとねえ…

たまりませんでした。

何歳くらいから「死」を意識する…というか理解するのかは人それぞれだとは思いますが、彼には分ったんですよね。

弟君はいまひとつわかってない感じでしたが…

パパは「おばあちゃんに文句言うたって!」と言っていました。

 

そして出棺。

いちおう喪主をはじめ、それぞれに持つ「持ち物」が決まっているそうなので、それを持って霊柩車に母が乗るのを見送りました。

そして霊柩車には私が乗り、弟家族と叔母&伯父は、それぞれの車に分乗して出発しました。

 

 

途中で大きな交差点に差し掛かった時、運転している方に「ここを曲がって少し行ったら、自宅なんです」というと「じゃあこの辺りは、よく通られたんですね」と。

 

そう。

いつもよく通った道。

空港まで送ってもらったり、一緒に買い物に行った道。

年末に救急車で運ばれた道。

年始に無言で帰ってきた道。

 

 

岡山市には斎場が二つあるのですが、我が家は北斎場といって空港の手前にあるところでした。

少し遠いのですが、すっきりと晴れた冬空の下での最後のドライブをすることができました。

 

だいぶ空港に近づいたころ…

ふと見上げると、岡山空港を離陸した飛行機が飛んでいくのが見えました。

 

「あ、たぶん母はアレに乗って飛んで行ったと思います」というと

「旅行好きなお母さまなんですか?」と応えられたので

「そうなんです、飛行機も好きだけど車でのお出かけも好きで…いい最期のドライブになりました」とお伝えしました。

 

同じことはほかの車でも話していたそうです。

「オカン、多分あの飛行機に乗って行ったなあって話しとってん」と弟。

母らしい、旅立ちだったと思います。

 

 

北斎場はとても新しいところでした。

すべてがピカピカで、棺を運ぶのも電動アシスト式の台車(?)でした。

 

「お母さん、きれいなところやからここでよかった!って言うてそうやな」

「うんうん、好きそう~」

 

いよいよ母とのお別れ。

ああ、もう次に会うときは「骨」ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

それから約2時間弱。

街から遠いこともあっていったん帰ることができないので、みんな軽食を持ってきていました。

それを食べながら、いろいろな話をして過ごしました。

 

 

そして、骨あげ。

母はとても背の高い人だったので、骨もなかなかしっかりとしていました。

 

10年くらい前に1年ごとに手術をした膝には、とても大きな金属が。

そして年末に手術をした股関節には、とても大きな金属が入っていました。

 

「せっかく大きくて丈夫なのを入れたのにね」

「とくにここ(股関節)は、痛い思いしたのになあ」

 
 
膝関節手術は、本当にすごくすごく頑張ってリハビリをして、ここ数年は杖なしでも歩けるようになっていました。
股関節も、リハビリを頑張る!って言っていました。
だから、骨壺にはそれぞれの入るサイズの金属を入れました。
母が頑張った証ですからね。
向こうで父に見せて「ドヤ顔」してほしいものです。

 

 

 

そして、母の葬儀は終了しました。

弟たちもそれぞれ帰っていき、私も帰宅しました。

 

 

 

そうそう。

ちょこちょこ帰宅した時にマルコのフードを用意したり水を替えたり、トイレの掃除をしていました。

でもずーっと家に居なかったので、ただいまというとものすごい勢いで文句を言われました。

 

 

 

でも、ただいまと言っても(人語で)おかえり~と言ってくれる相手がもういないのだ、という現実があることを痛感しましたね。

 

 

 

とはいってもその日はなぜか涙はもう出てこず…

疲れ果てて、お風呂に入ったらもう完全に電池が切れて、倒れこむように寝てしまいました。

 

 

 

 

 

とにかく、ちゃんと送り出せることができてよかった・という安堵と、

 

明日からやらないといけないことが山積みだな…というプレッシャーと、

 

 

一人になってしまったんだなという実感が、じわじわと迫ってくるような夜でした。