「その日」からのこと ~4~
ちょっと間が空いてしまいましたが、元気にやっております。
今日は母の日でしたね。
昨年の母の日には、まさか一年後に「ひとり」になっているとは思いませんでした。
そんな今日…
山梨県に住む友人が、母の日のお花を贈ってくれました。
母のイメージピッタリの、可愛く華やかな色合いです。
めちゃくちゃうれしかったし、きっと喜んでいると思います。
さて。
話が1月3日が更けていく…というところで終わりましたよね。
母の刺繍をポーチにしてくださったので、その写真を挟みながら進めます。
その日は8畳くらいの部屋に寝かされた母の隣に、座布団を6枚くらい敷き詰めて眠りました。
…といっても、眠れるはずがないというか。
ウトウトはするけれども、すぐに目が覚めてしまいました。
そして、この先いったいどうしたらいいのだろうかという不安がすごく大きくなって…
哀しいんだか不安なんだかわからない涙が出てきて、どうしようもありませんでした。
むくっと起きて、
「あんたなにしよん?」
「わたし、病院から戻ったん?」
と言ってくれないかな・と思っていました。
それは、今でも思っていますけれどね。
あと…やっぱり座布団では眠りづらいですし(笑)。
寝たのか何なのかわからないまま、朝になりました。
明るくなってきたので、母に「ちょっとだけ家に帰ってくるからな」と言って帰宅。
シャワーを浴びて身支度を整えてから、「母の持ち物」を用意しました。
枕元に置く愛用のお茶碗とお箸。
そして棺に納めるときに着せる服。
母の大好きなブランド「マリナ・リナルディ」のうち、お気に入りの青いプリントブラウスと赤いカーディガン、そして紺色のワイドパンツというコーディネートにしました。
一緒に神戸にお出かけするときには、よく来ていた組み合わせです。
そして途中でコンビニによって、朝ごはんを調達。
母の隣で朝ごはんを食べました。
亡くなった親を見ながら食べる朝ごはんは、なんかこう、変な感じですね。
母に「お母さんが死んでも、お腹は空くねんよ」と話しかけていました。
お昼前に、上の弟たち家族がやって来ました。
下の弟は午後から。
ここは子供たちがまだ小さいので、葬儀の時だけの参列になりました。
お通夜や葬儀に必要なことの打ち合わせを、葬儀社の方と色々とやりました。
納棺の前にお化粧をしてもらったり、いろいろと整えてもらいました。
私が持ってきた服を着た母は、なんかこう…起き上がって歩きだしそうな感じで、なんだか三人で笑ってしまいました。
「死んだ人っぽくないな」
病気などではなく健康なまま亡くなったので、棺に入って透明なケース越しにしか見られなくなったのが、とてもとても不思議でした。
でも…
棺に入った姿を見ると、ああ、もう本当に亡くなったんだなという実感も湧いてきました。
お通夜は19時から。
私たち兄弟の家族と母の兄弟くらいかな…と思っていたのですが、母の幼馴染で親戚になる叔父さん夫婦や、私たちの従弟なども来てくれました。
その後、下の弟は再び神戸へ戻りました。
残った弟家族と夜を過ごす準備を始めました。
お通夜のときの控室(?)は、かなり広い和室でした。
そこではちゃんとお布団も用意されていましたし、お風呂も使うことができました。
ちょっと合宿みたいやな~と言いながら、いろんな思い出話をしました。
お通夜とはいえ昔のように「寝ずの番」をする必要はないわけですが…
弟も私も、やっぱりちゃんとは眠れない感じです。
だって、もう明日には焼いて骨になっちゃうんだもんな。
そう考えたら、眠ってしまうのが惜しいというか。
それでも気づいたら2時間ほど寝入っていました。
明け方の5時過ぎに、なんとなく目が覚めてふと見ると、弟が母の棺の前にじっと座っていました。
なんとなく、声を掛けてはいけない気がして寝たふりをしました。
私には私の悲しさや辛さがあるように、弟には弟の気持ちがあるよね。そりゃそうよね。
いったん帰宅したもう一人の弟だって、多分同じよね。
弟のお嫁ちゃんから、「最初に電話貰ったでしょ?そのとき、あの人があんなに泣いたのを始めて見たんよ」と聞きました。
「泣いてる場合ちゃうやろ!お姉さんもお母さんも待ってはるから!」と言ってくれたのだそうです。
お通夜が明けて、いよいよ葬儀当日。
とてもいいお天気になりました。
1月としては暖かく、さわやかな朝でした。
お天気になってよかったね~と言いながら、それぞれ準備をしました。