お部屋を2つ、それもツイン。
用意してくださり恐縮です。
ご厚意に甘え広々使わせて頂きました。
今日は実際に仕事で見聞した事を少し織り交ぜつつ、福島紀行をお伝えします。
この美しい港に復興した軌跡があります。
2011年3月11日。上の写真一帯は壊滅的な被害を受け、全てを奪われました。地震、津波、原発による風評被害により住民は苦しい思いを強いられたのです。
岸壁は倒壊、沈下で破壊、多くの漁船、住宅、学校、商業施設が飲み込まれました。そしてかけがえのない人命も。
現在、海岸線の道路は整備され、広範囲の防波堤、防災緑地、高台の建設など津波の多重防御を重点に再生へと遂げました。
港湾周辺は市場など魚介類を扱う施設が多いため、大量の水揚げされた魚や冷凍のコンテナが津波により街一帯に流されました。
長期に渡り酷い腐臭に悩まされたそうです。
他の地区では、身元不明のご遺体の足の人工関節の製造番号から身元を辿ったり、結婚指輪の刻印の日付を手掛かりに謄本から判明したケースも何件かあったそうです。
言葉になりません。
少し車で走り、お世話になった現地コーディネーターさんイチオシの公衆温泉へ行きました。
強い硫黄泉は湯冷めせず、寝るまでポカポカです。
温泉場や今回宿泊したホテル然り、震災後は被害の少なかった宿の多くが原発作業員の方々の貸しきりとされていたそうです。
しかしメディアが流す情報とは異なる事実に、印象操作の恐ろしさを痛感。
今始まったことではありませんが。
そういえばこちらで合流したカメラマンさんですが、月初から福井〜富山で仕事のあと福島に直行されたそうです。
ご苦労様です。
2日目午後に少し観光が出来ました。
海岸に突き抜けた展望台。
実際立ちましたが足がすくんだ。
子供は怖いもの知らず
下から見るとこんな感じ
お昼。お目当ての刺身定食が完売。
天丼を注文するとすごいのが来た‼︎
ところでキャッシュレス決済の普及が至っておらず、行く先々で何度もお財布をガサゴソと。
帰り際でした。
先方のはからいで5人皆んなに牡蠣を一箱ずつ、しかもこんなに。涙
車に積込んだ後はそれぞれ現地で別れ、東京へ帰路と致しました。
名産のメヒカリも同梱されていて、さっそく食べ方を検索。唐揚げも良いみたいですね。
「遠くから足運んで頂きありがたい」と何度もおっしゃるのです。
いいえこちらこそ。現地の方々のたくさんの優しさに感謝でいっぱいです。
また福島弁のイントネーションが温かくてね。語尾が上がるあの感じ。
ほっこりします。
皆さんのためにこれから
良い仕事に仕上げますよ。
東北、福島。とても良いところです。
13年間の再生に注いだエネルギーと優しさが基盤にあります。
お出かけになってみてください。