行き先は栃木県の日光でした。
楽しみでもなんともなくて、ひたすら憂鬱でした。なので思い出どころか残像すらありません。
バス酔いして(たぶんいろは坂だと思う)夕食の時間まで続いた胸がつかえるあのイヤな感じは覚えています。
ただ忘れられないのは、クラスで1人不参加だったH子ちゃんのこと。
病気でも怪我でもなく、家が貧しくてが理由のようでした。
親御さんは積立金の工面さえ窮する事態だったのでしょうか。同じ親の身となり、それが不可思議です。
昭和時代は集金袋に入れた様々な費用を児童が持参したものです。
徴収済みの児童は黒板の横の名簿に赤丸のチェックが付けられました。
すると決まって帰りの会で担任が赤丸の無いH子ちゃんにきつく督促するのです。
見せしめ、一罰百戒です。
非情な時代でした。
残酷だったのは旅行当日の朝です。
みんなが意気揚々と乗り込むバスを下から見上げるように、H子ちゃんがおばあちゃんとお母さんと見送りに来ていたのです。
いったい誰がそんなことさせたのでしょう。
性悪な男子は座席からその姿を嘲弄しながら指差しています。
こいつら不幸になればいいと思いました。
後日朝、担任がH子ちゃんを教壇に呼びつけ、クラスメイトの視線が集まる中で東照宮の三猿のキーホルダーをお土産として渡したのです。
あの時の小刻みに震えるH子ちゃんの横顔が忘れられないです。
まるで晒し刑ですよ。
すると一部で拍手が起きました。
心底蔑みましたね。
昭和はこれを美談と呼んだのでしょうか。
小6の後半からH子ちゃんは休みがちになり、席が近かった私は何度かプリントを家まで届けましたが留守ばかりだったと思います。
卒業式も欠席だったと記憶しています。