施設で暮らす義母と久しぶりに電話で話ができました。

しかし言葉が思いの通りに出てこないようで、会話のキャッチボールが難しくなっていました。



甘いものは控えめにして

夜は眠れているのか

何か必要なものは無いか



夫は心配が先走り、矢継ぎ早に続ける。

更に義母は言葉に詰まる。


電話を代わってもらい施設のお友達や大好きな歌の話に触れると、徐々に言葉が出てきて楽しく過ごす様子を話してくれました。


色んな想いが交錯したのかな。

途中から涙声に変わる義母。

聞いているこちらも切なかった。



あんなふうに次から次へと。

お義母さんを不安にさせてしまうよ?



電話のあとで夫に言うと



え。そうだった?



彼はわかってないんだな、これが。




気を揉むと職場でも今みたいに畳み掛けるようにものを言ってるんだろうか。

こういう上司って嫌われる。

家では見ることのない夫でした。





ところで「ペチカ」ってご存知ですか。

義母と話していると、かつて北海道の夫の実家に在ったペチカを思い出しました。


結婚する際に挨拶に訪れた時、居間に見たことのない大きな暖房器具がありました。


「これは暖炉ですか?」と尋ねると


「これはペチカだよ」と義母。



“雪の降る夜は たのしいペチカ

ペチカ燃えろよ お話ししましょ”



この歌に出てくるペチカです。




私の記憶を辿るとこれとよく似た感じでした。

もっと古かったけど。

※画像はペチカ屋さんからお借りしました




暖炉のようで、でも違う。

積みあげたレンガの中にパイプを張り巡らせ、そこに熱を回して温まったレンガから熱放射するという仕組みらしいのです。

熱効率が大変良く、燃料が少しで済むのだと。

実家では台所との間仕切りとしても成していた造りで、家中を暖めていたそうです。



残念ながら私が見たときは既にお役御免でしたが、夫が子供の頃までは使っていたそうです。

燃料は薪だったそうです。

因みにお風呂は石炭で沸かしていたそうです。


ペチカはロシアから伝わったもので冬の間は火を絶やすことがなかったそうです。

そうしなければ極寒の地ロシアでは寝ている間に凍え死んでしまいますからね。




殆どが夏でしたが、真冬も幾度か帰省しました。

小型の除雪機で義父が雪かきしていたのを思い出されます。

こちらの湿った雪とは違い、サラサラしており払うと濡れなかった。

義父は娘のために傾斜に均してソリで遊ばせてくれました。



ある朝起きると2階まで雪が積もっていたことも。吹雪が続くと視界ゼロで何日も外に出れない。

北国と雪害は切っても切れないですね。

公道は除雪車がきれいにしてくれますが、私道には入れませんからね。

晩年の父はリウマチの体に鞭打って作業していました。



2年前、最後のお別れのときです。

棺で眠る義父に義母が言ったんです。



お父さん、もう雪かきしなくていいよ。

ありがとうね。難儀だったよね。



家族はその場で泣き笑いでした。




こたつを置かない習慣は暖房が十分すぎるので必要ないのでしょうね。

たしかに家の中はぽっかぽかで、大きなストーブからは煙突がニョキニョキ繋がっていました。


そして寒い冬を快適に暮らすために様々な工夫がありましたね。

買い物に行けない日のために大きな冷凍庫があったし、お漬物や保存用の糠漬けの魚があったのを覚えています。

私はしょっぱくて苦手だったけど。



雪に耐える頑丈な一部は石造りの古い構造で、ペチカが似合うなぜか北欧を感じる家だったなあ。



義父が亡くなり実家は売却されたのです。

一時は更地にする予定も、購入された方がとても気に入られ、さすがにリノベーションはしましたが大まかな構造はそのままにお使いだそうです。

夫も嬉しいと言っています。



でも、あのペチカは取り払ってしまっただろうな。

一度でもペチカの暖にあたってみたかったものです。