苦労することはわるい?

よく、若い時の苦労は買ってでもせよと言います。

苦労は良いことなのでしょうか?


それは、苦労という表現が悪いのです。

試行錯誤と言い換えればよいのです。

それならば、だれもが納得がいくでしょう。


試行錯誤しないで、ただ漫然と過ごしているよりは、

試行錯誤して、うまく行く方向を探していた方が良いでしょう。


ただ、試行錯誤しなくてもうまく行くということも在ります。

まぐれあたりというものです。


一方、才能があれば、試行錯誤をあまりしなくてもうまく行くものはあります。

でも、手の器用さとか、運動神経などが優れていて学びが早いということです。

これが良いことなのかという話もあります。


試行錯誤と言うのは、教わったことに対して疑問を持つことになるのだと思います。

なぜそれが正しいのかを考える癖なのでしょうか?


例えば、天動説に対してコペルニクスが地動説を唱えましたが、

 

今あることに対して疑問を持つ人がいなければこのようなことは生まれないということでしょう。

教わったことに対して、疑問を持つか持たないかというのはその人それぞれの癖なんでしょう。


ただ、日本の社会は、疑問を持たない人を量産しようとしているのではないかと思います。