最近私はAKBファンと思われているかもしれませんけど、
それはきっと私が自分自身のことを話さないからだと思うので、
「決してそれだけではないんだよ」っていう意味から、
恥ずかしながら私自身のプロフィールを書いてみました。
あくまでも趣味関連だけのプロフィールです(笑)
■生誕~小学生時代■
最初にハマった趣味は保育園の頃、ウルトラマンに代表される
巨大ヒーロー&怪獣でした。ヒマさえあれば(なくても)
マグマ大使、ジャイアントロボ、キャプテンウルトラ、ウルトラセブン等を
見ていました。しかし小3になると仮面ライダーが始まり、
おそらく当時はそっちの方が好きでした。何故なら仮面ライダースナックの
オマケのカードという、最高のコレクターズアイテムがあったからです。
今思えば、これがコレクターとしての第1歩でしたね。ちなみに
最初に買ったシングルレコードは『巨人の星』でしたが、
LPは『仮面ライダー』でした。V3頃まで好きでしたね。
小4か小5の頃は天地真理が好きでした。どの程度好きだったかは
定かではありませんが、女性アイドル歌手を意識したのは天地真理が
最初だったと思います(ファンという程ではなかったですが)。
しかし本格的に「音楽」として捕らえ、めちゃくちゃ好きになったのは
小5の時に出逢ったフィンガー5が最初です。
そしてレコード・コレクターとしての血が大活躍しました。何しろ当時から
「ジャケット違い」「ミックス違い」等を理解し、CDソング集や
テレビマンガのオムニバス盤等に、アルバム未収録曲が収録されて
いるのを知ってたし、フィンガー5が多くカヴァーしていた
ジャクソン・ファイブのLPまでもを買いあさる・・・という、
今と全く変わらない事をしていたのですから。
最初に行ったコンサートもフィンガー5でした。
また、フィンガー5と同じ位好きだったのがあのねのねでした。
『赤とんぼの唄』みたいに可愛い唄だけでなく、『つくばねの唄』や
『大きな栗とリスの唄』等のワイセツ歌も大好きで聴いていました。
そして「あのねのね」でもコレクターの血が騒ぎました。
当時あのねのねはKYOTOレコードというインディーズのレーベルに
所属しており、そのグループは支離滅裂派フォークと呼ばれていましたが、
その所属歌手の全てのレコードを揃えていたのですから。
河島英五、三浦久、NAC、たんぽぽ、大塚孝彦等です。
その人達の音楽を、何処まで好きだったかは関係ありません。
でも毎日聴けば好きになって行きますよね。今で言えば
AKBが好きだからSKEもNMBもHKTも集める・・・と言うのと同じですね。
小6になって音楽クラブに入部しました。5年生になると
どこかクラブに入らないといけないんですけど、
音楽クラブは女子が入るものと思い込み、違うクラブを選んだら、
小1からの男友達が音楽クラブに入った事を知り、
めっちゃ羨ましくて、6年生になるのをめっちゃ待っていました。
ちなみに楽器はダブルベースでした。
それとユリ・ゲラーのブームにもハマりました。
あの頃は超能力を信じていたんだよなぁ(あったらいいね)。
UFOも宇宙人も心霊写真もネッシーも信じていました。
初めて買った写真集は「UFO」でしたね。ちなみに
子供向け以外で最初に見に行った映画は『エクソシスト』でした。
だからマイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』も買いました。
金の掛かる、困った小学生でした。
■中学生時代■
中学生になると、それまで好きだったフィンガー5がアメリカへ
行ってしまいました。そしてあのねのねも大学を卒業する為、
1年間活動をストップしました。そのポッカリ開いた穴に
スッポリと納まったのが、ザ・ビートルズでした。洋楽としては
2番目でしたが、大きな衝撃を受け、かなり影響されました。
その他の趣味が「付いたり離れたり」の波があるのに対して、
ザ・ビートルズだけは波がありません。今に至るまでずぅ~っと
大好きなままなのです。同じ頃クイーンも熱心に聴いていました。
そして小学生の終わり頃から中学生に掛けて好きになったのが、
楳図かずおの漫画でした。特に『漂流教室』にはハマり、
中学校の先生達に回し、学校内で「漂流教室」ブームを作りました。
もちろんこの頃発売された楳図かずおのレコードも買いました。
このレコードには3年後サインが入ります。丁度この頃ニッポン放送の
「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」を夢中になって聴いていました。
学校では課内クラブでは器楽クラブに入り、ギターを弾き、
課外ではブラスバンド部に入部し、ユーフォニアムを担当しました。
ユーフォニアムは高校まで続けました。
また、中1の終わり頃、プロレスにハマりました。好きなプロレスラーは
ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、グレート小鹿です。
特にジャイアント馬場は、人間的にも尊敬でき、まるで神様の様に
崇拝していました。この趣味は2人が亡くなり、全日本プロレスが
プロレスリング・ノアに分裂するまで続きました。
更に中2の頃テレビで、映画『小さな恋のメロディ』を観て、
めちゃくちゃハマりました。「小学生だって恋をする」という
フィンガー5の音楽に相通ずるモノがあったからでしょうか?
原作本やサントラも買いました。もちろん主演のトレイシー・ハイドも
大好きで、何と今では、メールのやり取りをする程になりました。
コレにはビックリです。長くファンをやってるといい事がありますね。
映画は他にも『クリスマス・ツリー』や『フレンズ~ポールとミシェル』、
『猿の惑星』のシリーズ等を見て、めっちゃ感動していました。
テレビはといえば、NHKで放送していた少年SFドラマ
『なぞの転校生』も夢中で観ていました。最高でした!
中3の終わり頃、天馬ルミ子にハマりました。
最初にハマった女性アイドル歌手が天馬ルミ子です。
金の掛かる、困った中学生でした。
■高校生時代■
この頃はフィンガー5やあのねのねに対する興味も薄れていました。
女好きだったのでしょうか?高1になってすぐの頃、
その後の私の運命を大きく変える事になる、1本の電話がありました。
「天馬ルミ子ファンクラブですが、明日のレッツゴーヤングの収録に
招待したいのですが、来られますか?」・・・というものです。
そして翌日NHKホールで「天馬ルミ子親衛隊(PSK)」に勧誘され、
直ぐに入隊しました。それまでアイドル(もしくは芸能人)というのは、
テレビの前で応援するモノだと思っていたのに、
手紙を書けば返事が来る、普通に話ができる、並んで歩く、
イベント会場まで一緒に電車で行く、喫茶店で一緒に休憩する、
一緒に食事をする、テレビ局の収録スタジオに入る、電話で話をする、
隣りにいれば、洋服の脇からブラジャーの前から後ろまで丸見えでした。
コレは刺激が強すぎたよなぁ。更に大晦日のピンク・レディーの特番で、
水着で歌うアイドルのバックで踊ったりもしていました。
天馬ルミ子と同じ事務所だったので、かりだされたワケです。
手を伸ばせば簡単に届く距離に、ビキニ姿のピンク・レディーがいるのです!いい時代でしたね。しかし天馬ルミ子は人気が出ず、シングル4枚で
引退してしまいました。引退後はしばらく文通らしきことをしました。
その頃同時進行で、作曲家の都倉俊一を尊敬していました。
弟子になりたくて自宅まで押し掛けました。
もちろんココでも都倉俊一が作曲したレコードを集め、
コレクター魂を遺憾なく発揮していました。もちろん都倉俊一のソロ曲や、
都倉俊一グランドオーケストラにも酔いしれましたね。
そんな都倉俊一、天馬ルミ子が出演していたNHK『レッツゴーヤング』は、
常に観に行っていましたが、気が付くと天馬ルミ子だけでなく、
レギュラー出演していたサンデーズに、かなり好感を持っていたのでした。
サンデーズはその後何年も、メンバーチェンジしながら
続いて行く事になるのですが、私がハマっていたのは、
都倉俊一が司会をしていた、初代サンデーズの時代がメインですから、
天馬ルミ子の他、狩人や、太川陽介、川崎麻世、五十嵐夕紀、
香坂みゆき、渋谷哲平、倉田まり子といったメンバーがいました。
都倉俊一が作曲したヤングヒットソングは全てレコードで揃えていました。
楽しかったですね。だから、その後都倉俊一が番組を降板し、
天馬ルミ子が引退しても、「レッツゴーヤング」を離れたくありませんでした。
その為には、サンデーズの新メンバーの「誰か」の親衛隊になる
必要がありました。そこでデビュー前の、佐藤恵利の親衛隊長に
納まりましたが、何処まで佐藤恵利を好きだったかは定かでは
ありませんでした。しかし隊長だったので、FCの会報も作っていました。
その為頻繁に所属事務所のJVTに通っていました。
その事務所『JVT』ではヴォイストレーニングもやっており、
そこの生徒だった佐野理恵、市之瀬優子と知り合い、その事が後の
『Holliday Records(Blackbird時代)』の夜明けに繋がって行きます。
また、その頃の会報作りの経験が、「佐藤恵利親衛隊(2WEA)」
解散後にもめっちゃ生きてきます。
それは「CBFC(コンプリート・ビートルズ・ファン・クラブ)」の
スタッフとしてでした。高3の頃、ソロを含めるとあまりにも膨大な数になる
ビートルズのレコードを、ビアガーデンのバイトをして、
一気に買い揃え、次は当然海賊盤がコレクションの対象になって
くるのですが、その「海賊盤」に関して、何が必要なのか等の知識や、
スムーズな購入をする為に、CBFCのスタッフになったワケです。
そうそう、『2年B組仙八先生』も大好きでした。今でも大好きです。
世間的には金八先生でしたが、私はそういう奴なのです。
そのちょっと前には『ゆうひが丘の総理大臣』にもハマっていました。
総理と仙八先生が俺にとっての2大先生かもしれません(笑)
金の掛かる、困った高校生でした。
■専門学校時代■
CBFCで得たモノは、「ザ・ビートルズ」や「海賊盤」に関する知識だけでは
ありませんでした。一番大きかったモノ、それは大滝詠一と
「Niagara Records」の音楽の素晴しさを教えて貰った事でした。
スタッフは全員、会長から影響を受けており、または影響し合い、
毎日の様に大滝詠一や山下達郎の音楽を聴いていました。
大滝詠一にハマった理由は、その音楽の素晴さだけではありませんでした。
何故なら大滝詠一自身がコレクターなので、コレクターの気持ちを
とても良く理解していたからです。つまりコレクターとしての血が、
騒がずにいられない様なコレクターズアイテムがゴッソリ存在したのです。
そして当然の様に周辺アーティストのレコード(&CD)をコレクションしました。
山下達郎だけでなく、伊藤銀次、布谷文夫、大貫妙子、村松邦男、
シャネルズ(ラッツ&スター)、佐野元春、特に杉真理とBOX、更に
須藤薫、はっぴいえんど・・・この辺りのミュージシャンから影響を
受けたのがHolliday Records(私の個人レーベル)の始まりでした。
ライブにも頻繁に通いました。山下達郎は中野サンプラザで3日間連続
にも関わらず最前列、2列目、3列目でした。今考えると凄い!
そんな中、布谷文夫のライブにおいては、『会場に行くと「顔」に
なってしまう』という私の特徴が、存分に発揮されました。
マネージャーと仲良くなり、本人とも個人的な交流を持ち、
楽器の貸し借りや、ライブに参加してコーラス(というよりシャウト)を
担当したり、Hollidayでも『イエスタディ』等数曲歌って貰いました。
コレはナイアガラ・コレクターの間でもあまり知られていません。
ほとんど注文も来ませんし、私の個人的な宝物ですね~。
あとナイアガラ以外で好きだったのはなんといっても
岩井小百合でした。初恋の人に顔と名前が似ていたのです。
その他、この時代に聴いていた人達に松田聖子、薬師丸ひろ子、
原田知世、渡辺典子がいますが、原田知世はそこそこファンでしたが、
他はそうでもありませんでしたね。岩井小百合が最高です!
専門学校では北村英治オールスターズのトロンボーン奏者
河辺浩市先生(「嵐を呼ぶ男」の編曲者でもある)と知り合い、
その先生からの影響も大きく、ジャズも少々聴きました。
部活動はライトミュージッククラブに入部し、
Zumin & Hot As Sun、Cold Turkeyというバンドを結成しました。
どちらのバンドでもキーボードを担当しました。
また、この頃知り合った今でも大切な友人(一番長い付き合いになった)
からの大きな影響で、子供の頃に好きだったウルトラマンへの気持ちが
大復活し、そのシリーズ全体にハマってしまいました。
この友人からは、後にビーチ・ボーイズやブライアン・ウィルソン、
ジェフ・リン、ニルソン等の素晴しさも教えてもらいました。
金の掛かる、困った専門学校生でした。
■20代■
大滝詠一とナイアガラからの影響は、それだけではありませんでした。
その後の私の音楽ライフは、大滝詠一がやっていたラジオ番組
『GO! GO! Niagara』によって形成されて行ったのです。
オールディーズをいっぱい聴いたし、ビートルズを好きになった時には
大嫌いだったフィル・スペクターを大好きになったし、
エルヴィス・プレスリー、バディ・ホリー、シュープリームス等、
とにかくオールディーズ全般に対して親しみを持ちました。
それ以外にも弘田三枝子、坂本九、トニー谷、三木鶏郎、
獅子てんや&瀬戸わんや、星セントルイス等に興味を持つようになり、
特に大好きになったのがクレイジー・キャッツでした。
ビートルズや大滝詠一と同じ位、私にとって今でも
大切な位置にいるのがクレイジー・キャッツです。
アイドル方面では、何といってもおニャン子クラブの存在が大きかったです。
コレには仕事関係が若干関連しますが、ソレに関しては省略します。
同じような理由で大西結花も好きでしたが、繰り返しますが、
何といってもおニャン子クラブでしたね。個人的なお付き合いが
生まれたメンバーもいました。音楽的には少女隊も素晴しく、
CDはコレクションしていました。少女隊はもっと売れてもいいハズです。
その他、友人から教えてもらった漫画「生徒諸君!」にもハマりました。
更にアニメの魔法の天使クリィミーマミも熱心に見ました。
当時は主題歌を歌っていた太田貴子のイベントにも行きましたが、
太田貴子ではなくクリィミーマミが好きだったので、
レコードを買ったりしました。また「ウルトラマン」シリーズだけでなく、
ミステリーゾーンやヒッチコック劇場も大好きでした。
この頃の活動としては「ジャイアント馬場公認ファンクラブ 王者の魂」の
会員になり、会報も作っていました。特に馬場さんの奥様である
馬場元子さんには大変お世話になりました。怒られた事もありましたけど。
その後大仁田厚が立ち上げたプロレス団体FMWに夢中になり、
FC「サンダーファイヤー」を立ち上げた事がありましたが、
コレは失敗でした。大仁田厚をキライになってしまったからです。
栗栖正伸やミスター・ポーゴ、大矢剛功のほうが好きでした。
しかしFMWで女子プロレスと出逢った事は、大きな収穫でした。
その直後からジャパン女子プロレス、全日本女子プロレスも観始め、
特に全女では「友達?」と錯覚してしまう程の交流を、
選手の方々とさせていただきました。特に井上貴子、北斗晶、
ブル中野とは仲良くしました。・・・というか、仲良くしていただきました。
中野さんは自分の著書で私の事を書いてくれた事もあります。
年間150回も観戦&イベント参加したのだから、そりゃ団体の顔に
なっちゃうわな。その他女子レスリング(アマレス)も観ました。
特にエースだった山本美憂は、自宅の住所や電話番号の入った
年賀状を送ってくれる程でした。
20代で忘れられないのは、なんといってもHolliday Recordsという
インディーズレーベルを立ち上げたことです。
自分自身も歌いましたけど、プロデューサー志向だったので、
音楽仲間のチカラも借りて、40枚以上のアルバムを作りました。
また、Dream × 5、Silver Hollidays、七中麺等、いくつかの
バンドも結成しました。担当はベースが多かったですね~。
西村京太郎のファンになったのもこの頃で、
全ての文庫本(300冊以上)を読みあさりました。
金の掛かる、困った20代のおやじでした。
長いのでPart 2に続きます(笑)