映画、「あしたのジョー」を見てきました。
見おわった感想を、一言で言い表すと、よくぞここまで、です。
まずは、制作に携わった美術スタッフに感謝です。原作当時の「どや街」を忠実に再現してくれました。衣装その他、実写にするとこうなるだろうな、という、まさにリアルな美術でした。よくぞここまで再現してくださいました。
なので、自然に世界観に入っていけました。
原作漫画は読んでいませんが、アニメは一通り見ています。実写版では、「宇宙戦艦ヤマト」のこともあって、あんまり期待はしていなかったのですが、いい方に裏切ってくれました。まるで当時にタイムスリップしたかのような見事な美術。
なにもかも、舞台は原作のまま。すばらしい。
中身については、ネタバレになりますから、詳しくは書きません。しかし、各役者さん、お見事でした。山ピージョーは、原作よりストイックですが、ハングリーな部分はよく出ていたと思います。へらへら笑いのない矢吹ジョー。でも、迫力はありました。伊勢谷力石は、さすがという他はありません。
肝心なファイトシーン。ここでVFXが登場です。良くできていました。アニメでは、いろんな演出がなされていましたが、実写となると、ある程度押さえなくてはなりません。それでも、実際のボクシングをリアルに見ているようで、見入ってしまいました。
原作のところで引っかかるものがありました。
ちばてつや先生の名前はもちろん入っています。本来は、原作は、梶原一騎先生ですよね。でも、その名前がなかった。違う名前になっていました。
なので、原作とは設定が若干異なるところがありました。でも、それもありだと思いました。白木ジムのお嬢様、香里奈さんですが、本来モデルさんですよね。でも、女優としても、今回しっかり演技なさっていました。それに、なんといっても丹下のおっつぁん。やはり香川さんは、ただ者ではありません。若干アニメより細身でしたが、違和感ありません。気になりません。
今回真っ赤に燃えた矢吹ジョー。燃え尽きた力石徹。
漫画の時は、力石の葬儀まで本当に行われた。力石徹。今回は力石徹が燃え尽きました。
そして、矢吹ジョー。これで終わらせないでください。設定は変わっても構いません。
どうか、矢吹ジョーを灰になるまで燃やしてください。続編を期待します。映画は一応区切りになるところまではやりました。その後の矢吹ジョーを是非、見たいです。灰になるまで燃え尽きる矢吹ジョーを、山ピーに演じさせたいです。
カルロスやホセをどうするかが、問題ですが、なんとか実写版で最後まで描ききってください。お願いです。
見おわった感想を、一言で言い表すと、よくぞここまで、です。
まずは、制作に携わった美術スタッフに感謝です。原作当時の「どや街」を忠実に再現してくれました。衣装その他、実写にするとこうなるだろうな、という、まさにリアルな美術でした。よくぞここまで再現してくださいました。
なので、自然に世界観に入っていけました。
原作漫画は読んでいませんが、アニメは一通り見ています。実写版では、「宇宙戦艦ヤマト」のこともあって、あんまり期待はしていなかったのですが、いい方に裏切ってくれました。まるで当時にタイムスリップしたかのような見事な美術。
なにもかも、舞台は原作のまま。すばらしい。
中身については、ネタバレになりますから、詳しくは書きません。しかし、各役者さん、お見事でした。山ピージョーは、原作よりストイックですが、ハングリーな部分はよく出ていたと思います。へらへら笑いのない矢吹ジョー。でも、迫力はありました。伊勢谷力石は、さすがという他はありません。
肝心なファイトシーン。ここでVFXが登場です。良くできていました。アニメでは、いろんな演出がなされていましたが、実写となると、ある程度押さえなくてはなりません。それでも、実際のボクシングをリアルに見ているようで、見入ってしまいました。
原作のところで引っかかるものがありました。
ちばてつや先生の名前はもちろん入っています。本来は、原作は、梶原一騎先生ですよね。でも、その名前がなかった。違う名前になっていました。
なので、原作とは設定が若干異なるところがありました。でも、それもありだと思いました。白木ジムのお嬢様、香里奈さんですが、本来モデルさんですよね。でも、女優としても、今回しっかり演技なさっていました。それに、なんといっても丹下のおっつぁん。やはり香川さんは、ただ者ではありません。若干アニメより細身でしたが、違和感ありません。気になりません。
今回真っ赤に燃えた矢吹ジョー。燃え尽きた力石徹。
漫画の時は、力石の葬儀まで本当に行われた。力石徹。今回は力石徹が燃え尽きました。
そして、矢吹ジョー。これで終わらせないでください。設定は変わっても構いません。
どうか、矢吹ジョーを灰になるまで燃やしてください。続編を期待します。映画は一応区切りになるところまではやりました。その後の矢吹ジョーを是非、見たいです。灰になるまで燃え尽きる矢吹ジョーを、山ピーに演じさせたいです。
カルロスやホセをどうするかが、問題ですが、なんとか実写版で最後まで描ききってください。お願いです。
ブログネタ:「別れ」のいい伝え方は? 参加中私は直接会って伝える 派!
出会いには別れがつきもの。そんな風に割り切れる人は、あまりいないと思います。出会いのときめきがずっと続いてくれたら、こんなに幸せなことはないと思います。出会いは、終わりの始まりだ、なんていう人もいらっしゃいますし、始まりの終わりという人もいるでしょう。出会いから生まれるもの。分かれてから得られるもの。人様々でしょう。
出会いから始まって、互いのいろいろな部分が見えてきて、受け入れなくて分かれることもありますし、他に好きな人ができることだってもちろんあります。結婚してから、他に好きな人ができたっていうのも、今の時代はありなのかもしれません。たとえ子供たちが片方の親になかなか会えなくても、好きな人ができたから分かれる。子供にとっては心に深い傷を負うことになりますが、それでも、他に好きな人ができたから別れる人もいますし、独身に戻る人もいます。出会いがあって、結婚をした。未婚の僕がいえる筋ではないかもしれませんか、結婚はゴールではなく、終わりの始まり、つまり新たなスタートを切るということだと理解しています。子供を授かって結婚する。そして、うまくいかなくなったら分かれる。他に好きな人ができたから分かれる。子供たちにとって、それはとても哀しい出来事です。
話がそれてしまいました。
別れ話です。
いつも論点がずれる傾向にあるのは、良くないことです。
今回の選択肢で、直接会って伝えるとしたのは、これまでの反省を含めた願望が含まれています。もちろん、別れ話を持ち出すときは、得てして感情論になってしまい、物別れ、みたいなことになりがちです。でも、そのあときれいさっぱり、せいせいした、と整理ができればですが、物別れのままでは、先に進めないような気がするのです。
性別によってもこの点は異なるかもしれません。女性は、意外にといっては失礼かもしれませんが、割り切りが早いです。分かれた。はい、次。あ。未婚の場合ですよ。気持の切り替えが上手というか、ドライですよね。男性は、引きずるタイプが多い気がします。感情論で分かれてしまった。でも、一時の感情で分かれてしまって、実はあとで後悔している、なんてこともあります。過去を引きずったまま、なかなか先に進めない。次の相手に元カノのイメージを投影させてる、なんてこともよくありがちです。
で、男性視点で、別れ話を考えてみると、やはり、直接会って伝えるのが筋だと思います。僕は、メール以外は全て経験済みです。アナログ世代ですから(苦笑)。別れ話を切り出したことは、生涯これまでただ一度。つい最近ブログでも紹介しました。本当は、直接会った機会に告げるつもりだったのが、勇気がなくて手紙で告げ、納得のいかない相手からの電話で、もう一度別れを告げました。相手にはなかなか納得してもらえなかったのを覚えています。
その時に思いました。どれだけ時間がかかってもいい。お互い、いい出会いだったね、といって分かれたいのです。そりゃ理想論ですよ。男と女が分かれるときに、そんなきれい事など存在しません。たいてい、ぐちゃぐちゃになります。でも、それでも、ある一定の時期を共に過ごしたことを、僕は消去したくないのです。相手にも消し去って貰いたくないのです。いわゆる発展的解消とでもいいますか、結果は分かれることになっても、その過程は重要だった、と思いたいのです。マイナスで終わらせたくないのです。
あんな奴とつきあわなかったら良かった。これで終わったら、自分に何も残らないです。残す必要はないとおっしゃる人もいるでしょう。でも、お互いの人生の中である時期を共に過ごしたのです。何かしら残ってもいいじゃないですか。
別れ話を切り出されたことはたくさんあります。その時は、かならず、会って、話をしようと提案します。相手は、躊躇しますが、終わらせるならちゃんと終わらせよう、といつもいいます。もちろん、別れ話を切り出すには勇気がいります。相手の心がこちらに向いてない、それを面と向かって告げるのです。辛いことです。
自分が振られるのに、相手の気持ちを推し量ってどうする?
でもね、別れ話をすることがどれだけ辛いことか、僕にはよく分かっています。僕は、結局直接伝えることができませんでした。それを後悔しました。だから、切り出す相手にも後悔して貰いたくない。しっかり伝えきって分かれて貰いたい。そう願うのは、独善でしょうか?
別れ話が出るときは、直接いってくれと相手に求めます。そして、とにかく、相手が何を思い、どう感じているか、全て受け止めます。そのうえで、「よく、難しいことを話してくれた、ありがとう」といいます。僕は傷ついてますよ、もちろん、哀しいですよ。でも、相手のつらさが分かるだけに、どうしても相手をいたわってあげたくなります。
女性の場合は、いっそのことけんか別れした方が、すっきりするのかもしれません。でも、それでは、二人で過ごした時間がその女性から消去されてしまいます。それも哀しいことです。1ヶ月かそこらなら、そういうこともいいかもしれませんが、年単位で共に過ごしていると、やはり、消去されるのは、僕にとって辛いことですし、相手にも、人生のある時期、こんな人とつきあって、いろんなことがあった、と消去せずにどこかにしまっておいて貰いたいのです。
エゴですかね?
忘れないと次に進めない。
それも確かに一理あります。でも、共に過ごしたことで、お互い得られるものがあったなら、その部分は残して貰いたいのです。僕も出会えたおかげでいろんなことを知り、人生の糧にすることができました。
自然消滅。最悪ですね。それもやったことがあります。
きれい事など、書く資格はないですよね。
お互いが支え合い、共に成長していければと思っていました。でも、相手は僕に依存する一方でした。しかも、そのご両親は、僕の世界観と対極をなす方たちでした。彼女は親離れがまだできていませんでした。このまま依存され続け、消耗し続け、さらに、まったく価値観の違う両親がバックについている。そう考えたときに、これはやってられない、と思いました。最後の方は、ケータイがなるたびにおびえていました。
理論はしっかりしていても実践が伴わない、そういう人もいますよね。考え方はしっかりしていても、その根底には親への依存心がある。自然消滅の形をとったのは、相手が、親離れしていないことを、暗に気づかせる意図を持った行動でした。といったら、きれいに聞こえますが、要するに、両親の影におびえたのですよ。この相手とこれから人生を共にするなら、必ず、両親が前面に出てくる。対極の価値観を持った親御さんが前面に出てくる。
正直、逃げ出した、というのが本音です。
何がハッピーエンドだ。
だからこそ、望むのです。直接会って告げることを。共に過ごした過程を尊重しようではありませんか。こうやって失敗例を重ねてきた今だから、願望を込めて、直接伝えることを選択しました。
てめえは逃げてばかりだ。
ですよね・・・
All About 「恋愛」 恋人との別れ方でわかる性格と相性
ブログネタ:根性ある? 参加中根性のあるなしは、どこで判断するのでしょう。自分で判断することでしょうか、それとも、周りが評価することでしょうか。
そもそも、根性って何?
根性があるというのは、ひとつの目標に向かってひたむきに突き進むこと。その解釈でいいでしょうか。求められるのは、精神力と集中力ですか。でも、その目標が途中で違うものになったり、先が見えてしまったりしませんか?目標を見失ったり、違う目標が目の前に見えてきたりした場合、軌道修正もありだと思うのです。目標に向かって、突き進んでは見たけれど、先に見えてきたものが、本来予想したものと違ってくることだってあるじゃないですか。そこで、本来の目標から外れ、違う目標を設定する。それはやはり、根性がないことになるのでしょうか。精神力や集中力がない、飽きやすい、でしょうか。
途中で目標を見誤ったり、目標が変わったりするのは、先を見通す力が備わっていないのかもしれません。でも、動き出してからじゃないと分からないことだってあります。何でも先が見通せたら、こんなに人生苦しまなくてすみます。しれでも、目標達成まで粘る。これが根性ですかね。
とにかく、課されたことは最後までやり遂げる。仕事の場合、有無をいわせず上司の指示に従って、目標を達成しなくてはなりません。結果がどうであれ、ひとつの目標に向かって邁進する。結果、思ったほどの成果が上げられなかった。これは根性が足りないからですかね。
僕は、多分、集中力はあると思います。仕事に限っていえば、与えられたこと以上のことをやろうとします。与えられなくても、自分で目標を設定して成果を上げたりもできます。これは、根性があるといえるのでしょうか。そういうことがあると思えば、納得のいかない指示が来た場合、とたんに集中力が落ち、設定されてしまった目標に突き進む精神力も萎えてしまいます。疑問に思ってしまった段階で、その目標が僕の中で意味のないものに変わってしまうのです。
変な奴ですね。だから、組織の中で浮いた存在になってしまうのです。歯車になりきれないといってもいいかもしれません。与えられたものだけやってりゃいいんだ。上司はそういうでしょう。いやです。命令されるがまま目標を達成させられるのは、ごめんです。根性なしなんですかね。
方向性だけ示して、あとは好きにやんな。
その場合は、大いに集中力と精神力を発揮します。妥協はしません。成果が出るまでひたすら突き進みます。
いわれたことをやっていればいいんだ。そうすれば結果がついてくる。結果が出るか否かは、お前の根性にかかっている。昔はその指導法一点張りでした。あらゆることは、根性で乗り越えられる。本当にそうでしょうか。根性って、そういうものでしょうか。
いわれたことと、自分の目標とが合致していれば、根性の発揮しがいもあるというものです。無理矢理根性が足りないといって、押しつけるのは、多分、相手をつぶしてしまい兼ねない行為だと考えてしまいます。根性を発揮するには、モチベーションが伴わないと、なかなか続きません。
モチベーションがあって、目標を設定し、それに向けて邁進する。受動的ではなく、能動的に行動する。そこで発揮されるのが本当の根性でなはないかと考えます。
こんな思考回路の人物が大きな組織にいたら、うざくて仕方ないですよね。なにせ、歯車になれませんから。
まったく、困った人格の持ち主です。やれやれ。
ブログネタ:愛の告白と別れ話、どっちが緊張する? 参加中私は 別れ話派!
相手に想いを伝えるのは、あまり簡単なことではない。
ちゃんと伝えるには、感情のまま訴えるのひとつの手段だが、相手に想いを伝える前に、ある程度準備が必要と思う。そういう性格であるから、なかなか愛の告白も別れ話も自分から切り出せないことが多い。ただ、告白に関しては、感情のまま押し切れる可能性が高い。なぜなら、そばにいたい、ともに過ごしたい、そういうプラスな思考が働くからである。感情の赴くまま、とにかく訴える。この場合、周到に準備すると、こけることもある。一気に行くのがいい方に傾く場合もある。
もちろん、いきなり出会った人に感情で訴えても、どん引きされるだけであるから、それなりの課程が伴うのが必定だ。しかし、ぴんと来て、そのまま押し切るケースも、得てして成功するものである。個人的にはそういうことができないので、やはり、慎重に外堀から埋めて万全を整え、告白という手段に出る。告白で外したケースは一度だけである。どれだけ慎重なんだか。
従って、告白するときは、すでに土壌ができあがっているといっても過言ではない。まあ、ひたすら押して押して押し続けたことも、ないことはないが、それも、受け入れてもらえるという、確信があったからである。
従って、数は少ないものの、告白して最終的に断られたことは、ない。
問題は、相手の気持ちがまだこちらに残っている段階で、別れ話を持ち出すことだ。基本的に、若いときから慎重だった以上、つきあう先のことも考えていた。先の人生を共に過ごせるのか。そこまで考えて告白していた。だが、なかなかうまくいかないもので、自分の世界観、人生観にとことんつきあってもらえる相手に、巡り逢ったことがない。残念だが、これは致し方のないことである。個人的に目指しているものがあり、現状それを達成していない。もちろん、経済的にも安定していない。だから相手は、将来の安定に、経済的安定に不安を感じ、離れていってしまうことが多い。要するに、振られるのだ。
そういうことはこれまで何度も経験した。
経済的安定と互いに対等に支え合う気構え。どちらも成就しないのだから、やむを得ない。相手は、こちらに依存を求める。なぜか知らないが、依存を求める。何もかも支え切れるものではない。こちらだって、支えて貰いたいことはあるのだ。女性にとって、結婚後の経済的安定は、大きな要素と考える。
ということで、たとえ自ら告白しても、最終的に、「あなたのことは好きだけど・・・」という台詞で終わってしまう。告白されても、同じ台詞が告げられる。
また同じか・・・
それはともかく。
別れ話を自ら持ちかけたことは、1度だけある。当時、互いの気持ちは繋がっていた。間違いなく繋がっていた。しかし、とある事情で、どうしても、将来を考えると、相手の世界観が自分を躊躇させた。自分が「あなたのことは好きだけど・・・」と告げたのだ。これはもの凄く悩んだ。これまで、結婚ができた唯一のケースといってもいいかもしれない。お互い、そのつもりでいた。間違いなく、こちらがいわなければ、結婚していた。
相手の持つ世界観、宗教観といってもいいかもしれない。
それを受け入れるか否か。その一点で思い悩んだ。若かった。確かにあの頃は、若かった。
別れ話は、愛の告白とは違い、相手との関係を断絶するマイナスの思考である。プラスに変えて分かれていくというケースもなきにしもあらずだが、多くの場合、結婚後の別れ話は別として、未婚の場合はリセットすることになる。何かを失い、また新たな何かを求めていくためには、心のリセットが必要だ。分かれるということは、互いの共通の未来をそこで一旦消去する作業が行われる。個人的にこの行為はマイナス思考と考える。
さて、自身の話に戻る。
どうしたら納得してもらえるか。相手の世界観に共鳴できない。そう伝えなくてはならない。その世界観は、告白したあと判明したものだ。だから、常に、頭のどこかで引っかかっていた。別れ話を切り出すということは、その世界観に触れなければならない。この場で、その世界観、宗教観を具代的に語ることはしない。それがせめてもの、償いだ。
切り出すまで数ヶ月を要した。葛藤があった。
最終的に、自身では受け入れられたとしても、周りを説得できるか否か、の判断となった。やはり若かったと思う。説得するだけの強い気持ちが生まれてこなかった。要するに、自分でも受け入れられないと分かったのだ。
この結果を相手に伝えなければならない。一途に思いを寄せてくれている相手に、その根底にある世界観を否定する言葉を、告げなければならない。もちろん相手は傷つくだろう。信頼しきっていた相手から、そういう言葉が発せられるとは思いも寄らないだろうから。ただ、お互い若かった。今となっては妥協点も見いだせたかもしれない。だが、一途な想いは、得てして視野を狭くする。
当時は遠距離恋愛だった。会う機会も限られていた。会ったときに直接告げようと決めていたのだが、情けないことに、嫌いになったわけでもない相手の価値観を、面前で直接、否定することができなかった。勇気がなかったのである。恐らく相手も、尋常でない緊張感をくみ取ったのだろう。しきりに何かおかしい、どうしたのを繰り返していた。緊張が言動に表れていたのだ。もちろん、こちらは機会を見つけ、切り出そうとしていたのだから、緊張しまくっているのは当然だ。その日はそのまま東京駅から見送った。
このままではいけない。
手紙で告げることにした。何しろ口べたなものだから、一方的になってしまうことを覚悟して、自分の思いを文章にした。緊張はもちろんした。ただ、相手に分かってもらえるように、想いを込めて文章を書いた。泣きじゃくった電話がかかってきた。「ごめん」としかいえなかった。
個人的に、愛の告白や別れ話はどちらも苦手で、なかなか切り出せない。だがやはり、分かれ話の方が遙かに緊張するのは、確かなことだ。その後、「あなたは好きだけど・・・」が続いたときも、相手はやはり緊張していたのだろうな、と逆に良く切り出してくれたと、考えるようになった。自分がどれだけ思い悩み、緊張したかが分かっているからこそである。
その結果、未だ未婚。近頃は告白する機会はもちろん、分かれる段階にも当然至っていない。別れ話の緊張感を思い出すと、できれば、もう、分かれ話は切り出したくない、というのが本音である。
それでも、理想が高いだの、慎重だの、石橋を叩いても渡らない、いや、渡れなくても、パートナーを欲してやまない。
まずは自分を変えろって?
できてりゃ、結婚してるって。
最初のクライマックス、本能寺の変。
領地取上も出てきましたね。ほぼ定説にのっとった明智光秀の行動でした。それはいいです。でも、今回は初めて文句を言わせていただきます。
いくら姫目線でも、技術が進化したと行っても、近頃、亡霊が多くないですか?今回は江が生き霊として登場しました。夢とリンクしていた、という設定です。この演出。僕はあまりよしとしません。
更に、家康の決死の脱出劇は史実ですが、どうしてそこに江が加わるのですか。ドラマです。フィクションです。家康とのつながりを深めたい。それも分かります。馬に乗れるように信長を登場させた。演出として、今後の江への伏線をたくさんつくっておかなくてはならないことも理解できます。
でもね、あの家康が、おなごを伴って逃げたとは思えません。まして、信長が江を気に入っていたかどうか、江と接する機会がこんなに多かったのか。手紙でなんとか乗り切ろうとしているようですが、文を軸にして展開させるのも限界があります。もしくは、大人の江は、文を多用したのでしょうか。
もうすぐ最初の嫁ぎ先が決まるはずです。その前に、信長から家康へと江を支える武将のバトンタッチが行われたということでもあるわけですが、おなごをつれて脱出するほど、家康にとって余裕のある状況ではなかったはずです。
ああ、姫目線とはこのことか、とため息が出た瞬間でした。
史実のぶれはありません。そこに必ず主人公を絡ませる。フィクションですから、もちろんありでしょう。乗馬が得意なのは母親譲り。それでいいじゃないですか。ドラマチックに信長の手ほどきで馬に乗れるとは。
前回予想したとおり、信長の言葉。「己の思うがまま、正しき道を歩め」これが、江の支えとなるのでしょう。にしても、小学生が絡みすぎです。
やんぬるかな。これが支持される現代の大河ドラマなんでしょう。
領地取上も出てきましたね。ほぼ定説にのっとった明智光秀の行動でした。それはいいです。でも、今回は初めて文句を言わせていただきます。
いくら姫目線でも、技術が進化したと行っても、近頃、亡霊が多くないですか?今回は江が生き霊として登場しました。夢とリンクしていた、という設定です。この演出。僕はあまりよしとしません。
更に、家康の決死の脱出劇は史実ですが、どうしてそこに江が加わるのですか。ドラマです。フィクションです。家康とのつながりを深めたい。それも分かります。馬に乗れるように信長を登場させた。演出として、今後の江への伏線をたくさんつくっておかなくてはならないことも理解できます。
でもね、あの家康が、おなごを伴って逃げたとは思えません。まして、信長が江を気に入っていたかどうか、江と接する機会がこんなに多かったのか。手紙でなんとか乗り切ろうとしているようですが、文を軸にして展開させるのも限界があります。もしくは、大人の江は、文を多用したのでしょうか。
もうすぐ最初の嫁ぎ先が決まるはずです。その前に、信長から家康へと江を支える武将のバトンタッチが行われたということでもあるわけですが、おなごをつれて脱出するほど、家康にとって余裕のある状況ではなかったはずです。
ああ、姫目線とはこのことか、とため息が出た瞬間でした。
史実のぶれはありません。そこに必ず主人公を絡ませる。フィクションですから、もちろんありでしょう。乗馬が得意なのは母親譲り。それでいいじゃないですか。ドラマチックに信長の手ほどきで馬に乗れるとは。
前回予想したとおり、信長の言葉。「己の思うがまま、正しき道を歩め」これが、江の支えとなるのでしょう。にしても、小学生が絡みすぎです。
やんぬるかな。これが支持される現代の大河ドラマなんでしょう。
ブログネタ:ドキっとする異性の仕草は? 参加中異性の仕草は、何気ないものでも受け取る側によって特別なものに変化します。何気ないものが特別なものになるなんで不思議ですよね。
それが男子と女子、女子と男子の関係のなせる技なのかもしれません。異性との距離感にも関係していると思います。親密度によって変わるといってもいいでよう。
よく言われます、異性に関しては、石橋を叩いても渡らない人だと。もの凄く奥手で慎重なのだそうです。だそうですというのは、周りの評価がそうなっているからです。自分でもそれは否定しません。異性に関しては非常に慎重です。軽はずみなことはしません、というより、できません。
異性にアピールするところが、ない、と悲観的に思っているから尚更ですね。ブログで以前触れましたが、何しろ、「俺に近づくな」オーラを発していますから、異性はおろか、同性にも無意識のうちに「俺に近づくと怪我するぜ」みたいな人に近づきたくないですよね。
悲観論から入ってしまいました。
仕草です、仕草。
さっきも書いたように、距離感によって僕の場合変わってきます。一般的には、いろいろありますよね。一般論でいうと、髪の毛を書き上げる仕草とか、ヘルメットを脱いだときとか、甘えられるとか、上目遣いで見つめられるとか、いろいろあると思います。
直感といいますか、「あ!」というの、ありませんか?ありますよね。ドストライクとかいう表現もありますけど、そういうの、僕にもあります。でもね、見ず知らずの異性に「あ!」があっても、残念ながら、その先は、僕にはどうにもなりません。「あ!」という人が、たとえば、同じ職場にいたとします。仮にですよ、仮に。そうすると、視線があっただけで、僕はドキッとします。目が合うだけですよ。自分で書いてて恥ずかしいったらありゃしない。いい年こいて何をカミングアウトしてるんだか。
考えてみたら、これまで、同じ環境に身を置いた異性としか交際したことがないのも、これが理由なんでしょうね。たとえば、よく行く店とか、町中での出会いとか、そんなこと、石橋を叩いても渡らない僕ができるわけないです。そのシチュエーションで出会いは生まれません。今のところは。
同じ環境に身を置くということは、話すきっかけも増えるわけです。当然仕事上の話です。そうなると、笑顔。笑顔にドキッとします。常に笑顔でなくてもいいんです。日頃言葉が少なくても、ふっと笑顔になること、ありますよね。ドキッとします。
じゃあ、もし、つきあうようになったらどうなるか。
古典的ですが、ウィンクが全てです。日本の女性は、なかなかうまくウィンクできません。日本の文化にウィンクは定着していないません。ちなみに、自慢じゃないですが、僕はウィンクが得意です(爆笑)。欧米の方々は、性別に関係なく、ユーモアを交えて非常に効果的にウィンクを多用します。親しみの表れともいえるでしょう。
だから、意中の異性にウィンクされると、恐らく心臓が爆発します(死ぬって)。これはね、頼んでやって貰うのもいいんですが、自然発生的に出たものがもっとも効果的です。ノックダウン。一発K.O.です。
もし万が一、僕に興味のある方がいらっしゃいましたら、さりげないウィンクで瞬殺です。でもね、難しいですよ、さりげないウィンクは。
ああ。またしても、理想が高いと、いわれてしまいそうです。
ブログネタ:日本の若者も兵役を経験すべき? 参加中私は経験すべき 派!
どちらにするか、非常に悩みました。こんなに重いテーマを選んで自身で後悔しています。ちゃんと書くことができるかどうかも分かりません。そもそも、安易に二択にするべきじゃないとも思います。でも、日本を取り巻く国際情勢を考えると、究極、そういうことになりますよね。
僕は、若者ではありません。徴兵制が復活しても、蚊帳の外です。だからといって身勝手な意見を述べるわけにもいきません。まったく、辛いテーマを選んだものだ。悩んだ結果、選択肢が2つしかないならば、兵役を経験すべきを選びます。その理由をこれから書いていこうと思います。
その前提として、憲法改正に触れなければなりません。憲法改正には、議会の3分の2の支持を経て国民投票を行い、過半数を獲得しなければなりません。まず第1の障壁は、ここにあるでしょう。ただし、日本国憲法は、日本のオリジナルでないことも事実です。GHQの監視の下で、草案、制定されたものです。にもかかわらず、朝鮮戦争の折、手のひらを返したようにその国は軍隊を作れと迫ってきました。まあ、無責任きわまりないですね。
今更某国を批判しても、現状その傘下にないと日本という国は存在すら危ぶまれるところですから、やむを得ないといっておきましょう。
その日本国憲法に於いて、制定から半世紀以上を経て、拡大解釈が大いに利用されています。そのことで、改憲派、護憲派と分かれて出口の見えない論議が続いていますが、それは、拡大解釈がどんどん進んでいることにも原因がありそうです。だったら、拡大解釈を憲法に書き加えたらいいじゃん。いやいや、武装放棄と反核、平和を訴える現憲法を拡大解釈する方が、そもそも間違っている。そうやって、延々と議論を繰り返しているのです。
非核三原則は今となっては机上の空論。武装放棄も事実上返上しています。世論調査では、現状にあっておらず、拡大解釈ばかりが横行する日本国憲法を改正すべきだという声が次第に高まってきていることも、無視できません。あれは自分たちで作った憲法じゃない。だから、作った国のいいなりに拡大解釈を続けている。その論理も理解できます。ただし、唯一の被爆国として、平和憲法を守ろうという議論にも心は振られます。おそらく、同じ政党の中でも、憲法改正論は、一体化していないでしょう。
今の若者は、目的意識が低く、自由を勝手とはき違え、愛国心のかけらもなく、自己を表現する能力にも欠けている。だから、徴兵制を導入して、鍛え上げればいい。これは、年寄り目線の議論です。兵役を課すということは、当然今の世の中、男女ともに課せられるのでしょう。そうでなくてはいけません。どうするんですか。結婚の高齢化はますます進みます。「今の若者は」目線は、年寄りのひがみです。自分たちが、かつてそう呼ばれていたことを忘れています。いうのは簡単ですよ。自分たちに関係ないですからね。でも、当事者たちはどうなんでしょう。愛国心のかけらも学校で教育していないのに、国を守れなんてどう説明するのですか?
自衛隊の英語名をご存じでしょうか。Self Defense Force、略してSDFです。Armyという言葉を使っていないところが苦しいところですが、Forceには軍事力の意味も含まれます。英語では、自衛隊はれっきとした軍隊です。どんなに拡大解釈しても、軍隊です。政府は軍隊じゃないといいますが、諸外国はそう思っていません。軍隊だと思っています。徴兵制がないだけの正規軍。専守防衛、守ることに徹するといっても、攻められたら迎撃するのです。徴兵制がないから軍隊ではない。そんな理屈なんでしょうか。
論理が矛盾していますか?
だったらなぜ、経験すべきじゃないに投票しなかったのか、と。
日米安全保障条約によって、日本は核の傘に守られています。だからこそ、在日米軍が駐留していて、その基地が沖縄に集中している。沖縄の人たちは、日本国籍を持つことができるようになるまで、47年かかり、左側通行になるまで50数年かかりました。
金正日体制の北朝鮮は、まもなく終わります。体制継承の際に混乱が生じる可能性は大きいです。後ろ盾の中国は急激な経済成長とともに、いろんなところで国境干渉をしています。朝鮮半島は事実上、戦争が終わっていません。休火山のようなものです。ロシアも権益拡大に熱心です。
ただ、中国も、ロシアも、多民族国家で足下に爆弾を抱えています。昨今の民主化の流れが飛び火して、いつ独立運動が激化してもおかしくありません。
このような、日本を取り巻く現状を考えると、批判もあるでしょうが、安全保障条約の下、一国に守られている状況は、あまり好ましくないのではないかと考えるのです。要するに、守られている国の国益に左右され、巻き込まれていく、それが、本当に日本国の国益なのかどうか、です。
あまり政府批判は好ましくはありません。それも分かっています。でも、かつて、外務省という組織の末端にいた経験のある身として、あえていわせていただきます。一国頼りの外交は、もはや、時代遅れです。
自分たちで自分の身を守る、守らなくてはならない時期に来ているのではないでしょうか。本音で言えば、若者たちにその義務を課すのは心苦しいです。でも、かつて、勝海舟や坂本龍馬が説いたように、自分たちで祖国を守る軍事力がなければ、諸外国と対等に交渉できない。温故知新です。東アジア情勢は、そこまで切迫しているという、危機感を持って貰いたいのです。
お前は徴兵に関係ないからそんなことがいえるんだ。
それは否定しません。
その通りです。
でも、自分たちの国が今、どういう状況に於かれているのか、兵役という言葉をキーワードに真剣に向き合ってみてもいいんじゃないですか?
このタイトルには2つの意味があることに気づきました。
ごらんになった方はおわかりでしょうが、江が本能寺で信長にあったこと。それと、本能寺の変への引き金が引かれたこと。
馬揃えも史実であるならば、香木も史実です。それを下支えとして、姫視点でドラマは展開しています。江が本当に信長から「東大寺」なる「絶対的価値」のある香木を受け取ったかどうかは、勉強不足で分かりません。でも、話の流れからいって、そうなってもおかしくないとは思います。「自分の思うがまま自分の信じた道を行け、江」信長の言葉は、江の運命を暗示したものです。
信長が自らを神格化したことも史実です。それに対し、姫目線の江は、「思うがままに生きて神になどなれません」と訴えます。そして、あとで後悔します。謝罪をしたいと思います。それはかなわないことです。物語の展開として、これから江が運命に立ち向かっていくとき、きっと心のしこりとして残ることでしょう。ただ、「己が正しいと信じた道を歩め」この言葉は江の生涯の支えとなるのでしょう。
姫目線で描かれているため、お市の方との絡みも多いですね。その中で、お市の方は、信長の真の心を知ることになります。信長というカリスマの孤独、器の大きさ。誰かがやらねばならなかった。そう、世の中が変わるとき、いつの時代も多くの血が流され敵ました。「畏れられるのも、嫌われるのも、わし1人でよい」天下泰平の世を目指す信長が果たしてそこまで考えていたか、信長の心情を今から重いはせても、自身が語ってくれることはありません。でも、姫目線の信長はあくまでも悲劇のヒーローでなければなりません。うまく描かれていると思います。
本能寺の変に至る経緯は、諸説あります。たとえば、帝までないがしろにする信長をよしをしない公家による陰謀説。公家と近しい関係の光秀に実行させた。武田家滅亡のあと、その労苦をねぎらうために光秀がその接待を任され、そのやり方が信長の逆鱗に触れた。光秀が攻略した丹波丹後の所領を返上させられ、山陰地方を攻め取って自分の所領にせよ。光秀は所領を奪い取られた。
主なところではこれくらいでしょうか。未だ、諸説あって、本当に解明されたわけではありません。これは坂本龍馬暗殺も同じです。戦国時代最大のミステリー、本能寺の変。今回採用された、秀吉の傘下、つまり、家来になれ説は、四国討伐の任からおろされ、さらに、当時の、信長からいわせれば古き時代の象徴のような光秀にとって、秀吉の部下になることは、屈辱以外の何者でもなかったでしょう。今のところ、この説が一番有力なのでしょうか。まあ、この大河ドラマでは、最後に挙げた説を採ったということです。
来週はどうなんでしょう。連歌は省かれるのでしょうか。どうなんでしょう。「敵は本能寺にあり」来週、いや、今夜はその台詞が聞けるわけですね。
さて、江はどういう反応を見せるのか。山崎の合戦、清洲会議。あっという間に時代は変化します。三姉妹は福井に身を寄せます。つかの間の幸せですね。その幸せの時期から一転して悲劇へ。
かわいそすぎる。
個人的には、お市の方に思いっきり入れ込んでいます・・・
ごらんになった方はおわかりでしょうが、江が本能寺で信長にあったこと。それと、本能寺の変への引き金が引かれたこと。
馬揃えも史実であるならば、香木も史実です。それを下支えとして、姫視点でドラマは展開しています。江が本当に信長から「東大寺」なる「絶対的価値」のある香木を受け取ったかどうかは、勉強不足で分かりません。でも、話の流れからいって、そうなってもおかしくないとは思います。「自分の思うがまま自分の信じた道を行け、江」信長の言葉は、江の運命を暗示したものです。
信長が自らを神格化したことも史実です。それに対し、姫目線の江は、「思うがままに生きて神になどなれません」と訴えます。そして、あとで後悔します。謝罪をしたいと思います。それはかなわないことです。物語の展開として、これから江が運命に立ち向かっていくとき、きっと心のしこりとして残ることでしょう。ただ、「己が正しいと信じた道を歩め」この言葉は江の生涯の支えとなるのでしょう。
姫目線で描かれているため、お市の方との絡みも多いですね。その中で、お市の方は、信長の真の心を知ることになります。信長というカリスマの孤独、器の大きさ。誰かがやらねばならなかった。そう、世の中が変わるとき、いつの時代も多くの血が流され敵ました。「畏れられるのも、嫌われるのも、わし1人でよい」天下泰平の世を目指す信長が果たしてそこまで考えていたか、信長の心情を今から重いはせても、自身が語ってくれることはありません。でも、姫目線の信長はあくまでも悲劇のヒーローでなければなりません。うまく描かれていると思います。
本能寺の変に至る経緯は、諸説あります。たとえば、帝までないがしろにする信長をよしをしない公家による陰謀説。公家と近しい関係の光秀に実行させた。武田家滅亡のあと、その労苦をねぎらうために光秀がその接待を任され、そのやり方が信長の逆鱗に触れた。光秀が攻略した丹波丹後の所領を返上させられ、山陰地方を攻め取って自分の所領にせよ。光秀は所領を奪い取られた。
主なところではこれくらいでしょうか。未だ、諸説あって、本当に解明されたわけではありません。これは坂本龍馬暗殺も同じです。戦国時代最大のミステリー、本能寺の変。今回採用された、秀吉の傘下、つまり、家来になれ説は、四国討伐の任からおろされ、さらに、当時の、信長からいわせれば古き時代の象徴のような光秀にとって、秀吉の部下になることは、屈辱以外の何者でもなかったでしょう。今のところ、この説が一番有力なのでしょうか。まあ、この大河ドラマでは、最後に挙げた説を採ったということです。
来週はどうなんでしょう。連歌は省かれるのでしょうか。どうなんでしょう。「敵は本能寺にあり」来週、いや、今夜はその台詞が聞けるわけですね。
さて、江はどういう反応を見せるのか。山崎の合戦、清洲会議。あっという間に時代は変化します。三姉妹は福井に身を寄せます。つかの間の幸せですね。その幸せの時期から一転して悲劇へ。
かわいそすぎる。
個人的には、お市の方に思いっきり入れ込んでいます・・・
2月3日から4日にかけて、芦原温泉に行ってきました。ツイッターでも紹介しましたが、撮影した写真を公開しようと思います。社長並びに旅館関係者の皆様、大変お世話になりました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
下の写真は、名神高速彦根付近で撮影したものです(よい子はまねしないでね)。遠く見える白い山が伊吹山。山頂の姿を拝めるのは非常に珍しいのです。思わず危険を顧みず撮影しました。
これは北陸道南条SA。福井県に入って景色が一変しました。隣の県道信濃に、こんなに違うとは驚きでした。今回の大雪はさぞかし大変だったことでしょう。
これもよい子はまねしないでください。南越前町今庄付近だと思います。あまりにも除雪の雪壁が凄いので、速度規制もされていましたから、撮影できました。まるで、室堂までの道だよ。
で、たどり着いた旅館の部屋から撮影したのがこれ。全てが雪で覆われていました。雪の下に何があるのか、さっぱり分かりません。高校時代これくらいの積雪は経験ありますが、久しぶりに見ると、綺麗ではありますが、住民の方々の苦労が伺えます。途中の道路でもまだ除雪作業が行われ、断続的に斜線規制がされていました。
ここが泊まった部屋です。写真よりもっと広いです。こんな部屋を1人で独占。優雅な気分です。
自宅から無線LAMを携行しました。コンセント近くの黒い固まりがそうです。何せ、近頃の無線LANは小さい。こうやって、LAN回線が部屋にも来ていますこそ、こういうことができるのです。ちなみに申し出れば、LANケーブルも貸していただけます。
さて、豪華な夕食です。もっと豪華なものもプランにはあるのですが、そこは、経済事情も考えました。でも、これで充分豪華です。日頃食べているものと比べれば(感涙)。
お刺身の中に、さりげなくありした。そのまま食べてしまいそうになりましたが、はた、と「カニ!」と思って、撮影しました。結構苦労しました。右手にお箸、左手にiPhone。ぬぬぬ。むむむ。と両手が動くので固定するのに難儀しました。
到着時と同じ場所からとったものです。その前に風呂に入ったときは雨が降っていたので、だめかなあ、と思っていたのですが、朝日が顔を出してくれました。ありがたや、ありがたや。
もちろん、朝食は、ご自慢の朝カレーです。必ずカレーです。おいしいのですよ、これが。
ということで、昨日、帰って参りました。
最後に、あわら政竜閣の皆さん、本当にお世話になりました。
下の写真は、名神高速彦根付近で撮影したものです(よい子はまねしないでね)。遠く見える白い山が伊吹山。山頂の姿を拝めるのは非常に珍しいのです。思わず危険を顧みず撮影しました。
これは北陸道南条SA。福井県に入って景色が一変しました。隣の県道信濃に、こんなに違うとは驚きでした。今回の大雪はさぞかし大変だったことでしょう。
これもよい子はまねしないでください。南越前町今庄付近だと思います。あまりにも除雪の雪壁が凄いので、速度規制もされていましたから、撮影できました。まるで、室堂までの道だよ。
で、たどり着いた旅館の部屋から撮影したのがこれ。全てが雪で覆われていました。雪の下に何があるのか、さっぱり分かりません。高校時代これくらいの積雪は経験ありますが、久しぶりに見ると、綺麗ではありますが、住民の方々の苦労が伺えます。途中の道路でもまだ除雪作業が行われ、断続的に斜線規制がされていました。
ここが泊まった部屋です。写真よりもっと広いです。こんな部屋を1人で独占。優雅な気分です。
自宅から無線LAMを携行しました。コンセント近くの黒い固まりがそうです。何せ、近頃の無線LANは小さい。こうやって、LAN回線が部屋にも来ていますこそ、こういうことができるのです。ちなみに申し出れば、LANケーブルも貸していただけます。
さて、豪華な夕食です。もっと豪華なものもプランにはあるのですが、そこは、経済事情も考えました。でも、これで充分豪華です。日頃食べているものと比べれば(感涙)。
お刺身の中に、さりげなくありした。そのまま食べてしまいそうになりましたが、はた、と「カニ!」と思って、撮影しました。結構苦労しました。右手にお箸、左手にiPhone。ぬぬぬ。むむむ。と両手が動くので固定するのに難儀しました。
到着時と同じ場所からとったものです。その前に風呂に入ったときは雨が降っていたので、だめかなあ、と思っていたのですが、朝日が顔を出してくれました。ありがたや、ありがたや。
もちろん、朝食は、ご自慢の朝カレーです。必ずカレーです。おいしいのですよ、これが。
ということで、昨日、帰って参りました。
最後に、あわら政竜閣の皆さん、本当にお世話になりました。










