キェシロフスキ監督 デカローグを観た。
初めてデカローグを観たのは学生の頃。
光の美しさや独特で驚きの連続のカメラワーク、そして何かとても大切なものが見えそうで見えない物語の内側、緊迫感、、凄いものをみた、、と、ズシンと胸に残ったのを覚えている。
その後何回観たのかな。。
キェシロフスキの映画は映画館でしか観ないことに決めている。
今回は、没後20年の2016年にbunkamuraで上映されて以来、6年振りに観た。
久しぶりのデカローグ。
孤独で、それぞれがそれぞれの形で懸命に愛して、でもままならない他人に振り回されて、ボロボロに傷ついて、、、それでも生きていく。
人生の始まりも終わりも決められない。
物語の展開というより、そこに生きている人が詳らかにされ、スクリーンに映し出されていくその一つ一つに、激しく共感し、一方で傷ついている自分がいた。それは、私にとって、嬉しくも悲しくもあった。
例えば、ダンスは観れば、それなりにそのものについて言語化できるから、やっぱり端くれでも私はダンサーなんだと思う。
音楽や絵画は全くの素人だから、良いとか悪いとかは感じるけど、その説明を抽象的でなく、具体的にするのは難しい。
今回、デカローグを観て、今まで感じなかった人生の理不尽や、不条理、孤独をいくつも映画の中で明確に見つけた。そういうモノが描かれた映画だと今までもわかっていたつもりになっていたけど、見えていたものが全然違った。
それは、自分はもう若くはないと言うことをしみじみ痛感することであり、人生のセミプロくらいにはなったのかなぁ、、と思うことだった。
それでも、学生の頃も今も同じように感じたのは、全ては愛することから始まるということだ。
それはどちらも観終わった後の変わらぬ感想だ。
昔、無謀にも、一人で2月に凍てつく寒さのベルリン映画祭へ、アポもなく、ひたすら和久本みさ子先生にお会いしたいという気持ちだけで、訪れてたのを思い出した。
あの時、お会いできたのは奇跡だった。