午前八時三十二分 新着メール一件

”なんであたし

 こんなにいい子なんだろう…。”



最後の扉が閉まった。

貫き通した”強がり”。

泣き崩れる自分に語りかける。



「やっぱり、好きだった…。」



午後十一時二十八分 新着メール一件

”相談に乗ってもらってたお姉さんがいてね。

 バツイチ子持ちで強くていい女なんだ。

 でも…、売人なの。

 知り合ってからかな、

 あいつがほとんど帰ってこなくなった。”



メールを読んだ後、

何も考えずに自転車に飛び乗った。



午後十一時三十四分 新着メール一件

”明らかに二人の様子がおかしい。

 問いただしても、あいつは怒るだけ。

 お姉さんは、だんだんあいつの肩を持つようになってた。

 あたしはただ、真実が欲しかった…。

 頭の中ぐちゃぐちゃになりながら、

 「二人の間に何もないって証明してよ!」って

 もう力も出ない体で精一杯聞いたんだ。”



どこにいる?

河川敷か?

でもこんな深夜に…。



午後十一時三十九分 新着メール一件

”そしたら、なんて返ってきたと思う?”



朝のメールも後ろ向きな感じだったし、

”あいつ”とまた何かあったのか?



午後十一時四十一分 新着メール一件

”「ないものを「ない」って、

 どう証明すればいいんだろう…」って。”



自転車をこぐ足が思わず止まった。

画面に映るそのコトバが、頭にスッと入ってこない。

文面を何回も見直していると、

河川敷の向こう側に彼女の姿が見えた。

ゆっくり近付いていくのと同時に、

さっきのメールについての考えを巡らせていた。


ちなみにアドレスの交換だが、

この前のラブホテルから出る間際にこちらから持ちかけてみたら

あっさり応えてくれたのだ。



「最上級の嘘だね。」



一言、自分なりの解釈を述べてから横に腰を下ろした。

彼女はケータイを手元でパカパカさせながら、

ぼんやりと川を見つめている。

泣いたのか寝不足なのか、

その目はなんだか腫れぼったいように見えた。



「最上級の嘘…。

 本当、その通りだよ。

 あたしはずっと、真実が欲しいって言い続けたのに。

 疑い続けて心も体もボロボロなんか通り越して、

 もはや狂ってた。」



彼女が今、自嘲的にでも微笑む事ができるのは、

そこから既に何かを得られたからだろう。



しかし、援交・醜いマリア・薬物・略奪・狂乱…。

これが彼女の目指す”マリア”にどう繋がる?

一体…、どうやって繋げていったんだ?


困惑するこちらの顔なんてお構いなしに、

彼女はゆっくりと立ち上がった。



「リュージ、歌聴いて。」



一瞬見えた横顔に、表情の柔らかさを感じた。

今、君は元気?

今、君は哀しい?

今、君はシアワセ?



「あいつと会うのは今日で最後だったんだ。

 あたしがあいつをダメにした。

 あいつがあたしを陥れた。

 でもね、離れてからたまに会うのが楽しかった。

 三年も一緒にいたから、

 お互いの事知り尽くしてるんだよね。

 …リュージ、これがピリオドだよ。」



”ピリオド”

スタートの合図。



「たくさんの 日々

 乗り越えた 今

 語り明かせる 喜び

 願い合う シアワセ



 凛とした 姿勢

 深々と 一礼

 素直な微笑み

 真っ直ぐな眼差し

 ”本当に ありがとう”



 願い合う シアワセ

 覗いた空 広げた扉

 振り返った その笑みは

 一気に全てを甦らせた



 願い合う シアワセ

 願い続けた ゲームオーバー

 知り尽くされた 互いの思考

 築かれていた 安心感

 ”元気でな”

 

 たくさんの 日々

 乗り越えた あの頃



 拒み 嫌がり 荒れ狂いながらも

 向き合い続けた 今まで



 閉ざされた扉 同時に

 溢れ出し 零れ落ちて 座り込む

 目を逸らしていた 感情

 受け入れた 答え



 流れ続けた 温かい涙」






”早く私を 捕まえてくれ

 これ以上 罪を犯す前に

 黒い衝動が 止まらない

 もう自分を 抑えきれない”



彼女が作り出すもうひとつの”煙”。

美しく、そして罪深い。

大きく吐き出された息。

嗅いだ事のない匂い。

”それ”の一部始終を呆然と見ていた。



「口開いてるよ。

 ポカーンってしてる。」



ハッとなった時には既に彼女に唇を奪われていた。

少し離れてニヤッっと笑うその目は虚ろだ。

彼女を抱き寄せもう一度、今度は強引にキスをする。

そのままベットへと押し倒し、

こちらを見上げてくる彼女の頬に触れた。



「どうして…。

 誰にも言えない君の秘密だろう?

 どうしてこんな男の前で”それ”ができる?

 もし警察に突き出されたら終わりだろう?

 なんで…。」



頭の中がごちゃごちゃだった。

困惑しながら彼女の横に寝転がる。

低い天井の優しい灯りを眺めながら彼女は言った。



「あたし、ヒトを見る目はあるんだ。

 っていうか、養われた。

 だからリュージは大丈夫。

 あたしを陥れたりなんかしない。」



…ほら、ずるい。

また安心感をくれるんだ。

彼女が”疑う”事をしないのは

相手を信じ切っているからじゃない。

相手に自分を信じてもらおうとするからだ。

”偽り”を口にしない、

眼差しが語るのはいつも”真実”。



「今ずるいって思ったでしょ?

 絶対思ったでしょ?」



顔をのぞき込んできたその表情…。



「いつも思ってたけど、

 その可愛いらしい無邪気な笑顔がずるい!」



その言葉に彼女が笑う。

つられて笑ってしまった。

しばらく戯れてから、

共にラブホテルを後にした。



寝静まった住宅街に響く新聞配達のバイク音。

視界の隅から徐々に零れ溢れ出す光、

飲まれていく闇…。



「リュージ、手ぇ繋ごう!」



そう言うと彼女は手を引き走り出した。

彼女のテンションが高いのは、

”あれ”のせいだとさっき聞いた。

脳が”覚醒”するんだと、言っていた。



走る彼女の目の前に広がる空。

光が闇を追いやる瞬間。

強く握り返した。



「一緒に…」



そう言いかけた時、彼女のケータイが鳴った。

息切れしながらゆっくりと立ち止まって

画面を見つめている。

返事を打ち終わってから振り向き、

彼女が見せてくれたのは歪んだ微笑みだった。



「ちょっとこれから、

 あいつに会ってくる。」



心臓がドクンと大きな音を立てた。

目の前にいたのは紛れもなく、

”そこ”から抜け出したくて悶え苦しむ”醜いマリア”だった。



「”愛を忘れた メイク ラブ”」



目の前に広がり始めた朝があるのに、

彼女は詞だけを残してまた、

夜へと消えていった。






全てを赦すような歌声。

その旋律が奏でる聖母マリア。

その無償の愛を支える、ひとつの”裏切り”。

その元凶は、ケロイドの過去から

産み落とされた”醜いマリア”。

その哀れな優しさによって導かれた深い闇は、

自我を破壊した。

しかし彼女は誰を恨むわけでもなく、

ただひたすら、”罪”に怯えながら

”真実”を求め続けている。




「十八の時に一人暮らしを始めたの。

 でも学生だったのに仕送りなんかなくてさ。

 毎日のように援助交際して、生計立ててたんだ。」



シャワーから出てきた彼女は、

まだ潤いの残る肌に服をまといながら静かに口を開く。

ぼんやりと視点を定めない瞳が、

一瞬閉ざされた。



「そこで…、出逢っちゃったんだ。

 あいつと。」



力強い呟きに、微かに混じる溜め息。

恨むとするならば、

全ての始まりとなる”出逢い”なのだろう。

拭き逃れた雫が彼女の首筋を伝う。

それに触れようと伸ばした手に優しくキスをされた。



「一瞬で惹かれたの。

 壁を取り払うような安心感。

 女性に合わせてくれるセックス。

 元カノさんとの別れの話。

 何より、あたしの傷に嫌悪感を示さなかった。」



隣に座ってきた彼女はタバコを手に取った。

”あいつ”の話を始めた途端、

今まで見た事ないほどの柔らかな微笑みを浮かべている。

何が起こってきたのかはわからない。

ただひとつ、確信できたのは…、

彼女はまだ、”あいつ”の事が好きなのだろう。



「頻繁に会うようになったら、

 いきなり遠ざかった。

 元カノさんと別れた理由、

 誰にも言えない秘密…。

 突き放されれば突き放されるほど、

 恋しくなってすがりついた。」



少しずつだけど、見えてきた。



「そこで産まれたんだね、

 ”醜いマリア”が。」



そのコトバに反応し、

哀しげな目でこちらをチラッと見てきた。

ゆっくりと溶け出した煙の後の沈黙。

彼女は独り言のように小さく言った。



「後はどんどん、

 堕ちていっただけ…。」



ひらひらと小さな灰が足元に落ちていく。

自分でも、

一体何が知りたくてここに来たのかわからなくなっていた。

すごく知りたかった。

聞きたい事はいくつもあった。

なのに何のコトバも、今は出てこない。

”嘘”と”罪”…。

マリア…。

裏切り…。

ねぇ君は、

一体何を見てきたの?



「たくさんの闇を見てきた。

 裏社会を目の当たりにしてきた。

 男と女は脆いと感じた。

 金と体の関係は浅はかだと嘲笑できた。

 傷痕は…、逃げたらいけない。

 苦しみは…、恨んだら負け。」



綺麗で歪んだコトバに聞こえた。

核心…。

それは、”あいつ”が彼女に与えた餌なんだ。

その餌で、その秘密で、

醜いマリアは見る見るうちに成長していった。



「一番最初にあいつがあたしを突き放した時、

 最初の最初なんだよ?

 自分の秘密を叩きつけてきた。

 あたしが傷付く前に突き放そうとしてくれたのに、

 あたしがそれを拒んだ…。」



細い指がタバコを揉み消す。

左肩に微笑むマリアが小さく震えていた。

叩きつけられた秘密、それは…。



「”最後に打ち明けます。

 俺は覚醒剤依存症―――。”」



堪えきれずに溢れ出した彼女の涙に、

そっと、

口づけをした。