5月20日(木)
昨年2月末から毎日綴ることを決めてきたこのブログ(正確には「まいにち文章」と銘打った挑戦)を、今日をもってひとまずやめることにする。
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自分にとってもあまりにも突然のこの決定に少し驚いてみたりしている。でもよくよく考えてみれば以前からこれを継続することに違和感を覚えはじめており、遅かれ早かれやめるかもしれないなぁとは漠然と思うことがあった。ばしっと断行することが苦手な自分なので、今を逃せばこのままずるずると違和感を抱えたままなし崩し的に続けていたかもしれない。そしていつしかそれにも慣れて、結局は表面上何にも事は起こらなかったということになる。それは最悪だ。
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継続はナントヤラという、このまま続けていけばそれ相応に得るものや育つものはあっただろう。体に良いと思って食べれば何だって体に良いように(気持ちの話です)、要は、それが自分にとって良いと思うか悪いと思うかだと思う。良いことだ、と思っていたからこれまで続けてきたわけで、だから違和感つまり「このままじゃ悪いかも」と思ったからやめるのは理にかなっている。上手くはいえないが、いつのまにか、こうやって文章を書くことに甘えている自分がいるような気がしてきたのだ。
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当初はそう短くない文章を毎日書くことに大変な苦労を必要としていたが、一年以上経つ今、苦労を感じることなどまったくといってもいいくらいにない。もちろん日によってそうでないときもあるが、そしてそれ自体はとてもいいことだが、書くことがただひたすらたのしいことになっている。それなりの文量を書くこと、はじめはいわば「修行」のような感覚だったものが今は「道楽」のようになっているといえなくもない。だったら、こんなことはやめてしまった方がいい。他にやらなくてはならないことはたくさんあるからだ。
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最後だ、だらだらと書くのはやめよう。やってきたことに後悔はない。中身はさておき、この一年と少しのなかには自分の濃密なものが詰め込まれている。「修行」から「道楽」に、格下げか格上げかわからないが変化したここは、でも大好きな場所であることに間違いない。毎日書くことはなくなるけれど、甘ったるい自分だからときどきたのしくなりたくて書くかもしれない。こんなふうにいうのは奇妙だが、ときどきお邪魔しにこようと思う。あぁなんだかとても寂しい気持ちだ。
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ほんとうならば今日は、図書館のことを書こうと思っていた。それは昨夜、突然嫌な予感が閃光のように体中に走り、まさかと思って調べてみるとやはりそうだった。一冊、本を延滞してしまっていた。何度も確認していたはずなのに、その何度も全部の確認が甘かったようで、したたかに一日延滞することがそこで確定した。そして今日、慌てて返却に行った。言い訳を考える頭なく、必死に平謝りして反応を窺ったとき、館員のお姉さんがとてもとても同情的でやさしかった。わからないが、「そんなに謝らなくても…」というふうにくすっと笑った。不謹慎にもその隠した笑顔がとてもきれいでかわいくて、罪悪感と恋心がマーブル模様を織り成したのだった。……という、いつもの小さな話だ。これにて一時休止。