今日もラジオを聴く。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 1月10日(日)

 朝からずっとラジオを聴いている。流している、といった方が表現としては適切か。探せばいろいろとおもしろそうなテレビはきっとあるのだろうが、そもそもテレビという選択肢がほとんど浮かび上がらない。テレビは目と耳を奪い、そうなるとほぼ確実に行動までも奪ってしまう。時間もだ。平気で2時間や3時間くらいある特番を一たび見はじめてしまえば、やめどきがわからなくなり、そのままズルズルと時間を浪費してしまうこともままある。それらはおそらく、意思が強い人ならばどこかで断ち切ることができるのだろうが、自分には少し難しい。ならばはじめから見ない、という策を採ればいい。君子は危うきに近寄らず、だ。自分があまりテレビをつけようとしない説明は、だいたいそういう理由によるものだと今わかった。

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 もしくは、純粋にラジオの方がより魅力的に思えるから。押し付けがましくないラジオは、我々聴き手との間の距離感が心地よい。その証拠に、ラジオによる番組紹介のCMでは、テレビのそれのような「絶対見てね(聴いてね)」という文句がほとんどない。あくまでも個人的な感じ方なのだが、ラジオはほとんどが「もしよかったら、聴いてください」という謙虚な姿勢であるところが、今日の勝因なのかもしれない。

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 理由は何であれさほど重要なことではない。ラジオが好きで、今日も朝からずっと聴いている、ということだ(ただし、これを書いている今はつけていない)。

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 ラジオの生命線は、音楽だ。例えトーク主体の番組でも、最低1コーラスぶんほどの時間を割いて音楽を流さない番組は、自分の知るところではほとんどない(10分間ほどの情報番組ならば思い当たるものもあるが)。そうして、このようにずっと聴いていると、この午後3時過ぎの時点で一体どれだけの音楽を聴いてきたことだろう。

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 不思議なことに、ラジオから流れてくる音楽に対してその選曲に不満を感じることがほとんどない。ひとつ添えるとしたら、番組ごとにカラーがあり、「流れやすいジャンル」や「まず流れないジャンル」などは予想がつき、自分好みの音楽が流れやすい番組を選んで聴いているということもある。けれど、それを差っ引いても流れてきた音楽におもわず手を止めてしまうことがほんとうに多い。現在の自分の音楽的志向は、間違いなくラジオによるものであると言える。音楽どころか、興味・関心ごとや考え方、ともすれば生き方までもが、ほとんどがラジオから受けた影響によるものだと言っても差し支えはないだろう。

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 この後数時間、夜が来るまでもうしばらくラジオを聴く時間があることだろう。その間、まだまだたくさんの音楽が流れ、心動く言葉が胸に届くことと思われる。情報社会は依然として頭打ちにはならず発展を続ける。パソコンで少し調べれば、今日流れた音楽の詳細を知ることは造作ない。根気強く検索を重ねれば、琴線を揺らせた一言を知ることも不可能ではない。ラジオから響いた言葉、のリストをつくるのは多大なる骨折りになるだろうが、音楽のそれなんかを作ってみて、見直してみたらば整理でき、新たに広がる志向も見つかるかもしれない。明日も明後日も何年先も、切っても切れない関係だということです、ラジオとは。