雪融けと国宝初詣。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 1月2日(土)

 新年二日目、今日は土曜日である。すると当然明日は日曜日、ということになる。曜日感覚が狂いがちな今の時期、そのあたりの気は常に緩まぬようにしなくてはならない。

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 さて、ものすごく疲れたが、なにはともあれ、これでひとまず親戚巡りは落ち着いた。今日の集まりは、親族、でいうと自分たち含め都合4つの族が一同に会する場であり、これほどの大人数で集まることは、他に冠婚葬祭でもない限りこの日くらいである。なにしろ人数が多いので、食卓は2つのグループに分けられる。すなわち、大人組と子ども組である。二十三歳を目前に控えた自分でも、「子ども組」では年功序列は半分よりも下の方。昨年のアメリカ旅行で大変お世話になったいとこが「子ども組」最年長で、二十代の階段をまもなく上り終えようとしている。

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 「子ども組」を構成する男女比率では、男の方がずいぶん多い。せいぜい年に一度しか顔を合わせない我々は、親族といえどもその前にひとりの男である。概して男には思春期(と言えばおおげさ、もしくは見当違い)が顕著にあり、その期間は懇意な世界以外のものに、余計なよそよそしさを抱いてしまうふしがある。「子ども組」は年齢がばらばらで、そのなかの男子に限定した話では現在、上は先に触れたが二十九で、下は十九(二十歳かも)。その差、十ということは、簡単に勘定しても十年間は順繰りに誰かに「よそよそしさ」が憑き、完璧に打ち解けた雰囲気は望めないということになる。それがここ一、二年で、雪融けの感は確実に強まった、と客観的に見ているとそう思えるのだ。劇的に言うならば、暗黒時代の終焉。「子ども」の世界に再び太陽が差し込んだ。「子ども」たちは皆にこにこと、いつのまにか酒など呑みながら、豪勢な鍋をつつくのだった。

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 以上のようなことをレポートさせたらば、この自分に勝る者は少なくとも「子ども組」には誰一人としていない、との自負がある。そんなことを冷静に見ることのできる自分。俯瞰視できる自分。自分には、まだ若干の「よそよそしさ」が融けずに残ってしまっているようなのだ。決して異色な存在、というほどではないのだろうが、微妙な歯車の不一致が、自分のせいであるとわかることが多々あった。

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 ああ、とうなだれる。生来、人より少しだけ人見知りのきらいがあることを差っ引いても、ここしばらくの自分の所謂「コミュニケーション能力」の欠乏が実感できてしまう。まちがっても「もう親戚の集まりに顔を出したくない!」となりえる切実な問題ではなく、取るに足らぬ与太問題である。けれど、上手に周りの色になじめない、ということはほんとうで、それは弱点である。ひとりハイペースに積み重ねていく蟹の殻の山は、「ペーソス」の化身のようなものである。今年一年何をしたかによって、来年のこの集いでの自分の心情が変わり、その変化とは信憑性のあるものだろう。実り多い年にしよう、と、これは半ば自分に課す義務である。

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 話は変わって、今年の初詣は洒落ていた。なにしろ、国宝、に人口密度の高くないなかで悠々と詣でたのだから。集う親戚の家は兵庫県加東市にあり、道中にその「浄土寺」があるのだ。夕方、拝観終了時間ぎりぎりで飛び込み、昨夏ぶり(8月12日ぶん参照)の阿弥陀三尊に手を合わす。今回はツイていた。やにわにその寺の人(住職ではないらしい)が、30人ほどいた堂内の参拝客に仏の前に座るよう指示し、三尊やお堂のことを講釈してくれたのだ。ユーモアも心得た達者な話しぶりで、床張りは寒くともみんな顔はほこほことしていた。夏の夕方ではないので、最高の状態の三尊は拝めなかったが、カーゴパンツの浄土寺関係者(おじいちゃん)に感謝である。

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 珍しく、まだ二日か、という気でいる。この調子で一日一日を感受性豊かに有意義に送っていこう。昨日綴ったようなトンデモな新年幕開けは、阿弥陀三尊が帳消しにしてくれたと信じる。おもしろい年にしよう。最低三が日は、こんな結びのブログになるかもしれない。