汎用感性。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 11月17日(火)

 最近のブームはもっぱらエレキギターだ。久しぶりにケースから取り出して、ほとんどインテリアの一部となっていたギターアンプに繋いで、ガーンとコードを鳴らしてみたのが確か二週間前。とにかくそのときの衝撃が、再びボクのエレキギター熱に火をつけた。

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 そして、――それは度々遭遇することなのだが、再び奇妙な現象とまみえることとなった。確かに長いブランクがあったにも関わらず、ともすれば上手になったか? と思えなくもない面があったのだ。これはひとまず「ブランク礼賛」として、起こりうる現象と見ることにしているのだが、そのメカニズムがなかなか解読できないでいる。事態としては非常によろこばしいことに相違ないのだが、理屈が知れないことにはいまいち心からよろこべない。

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 具体的に「上手くなった」と自分で思える箇所は、大きく言えばふたつある。まず、テクニックの面で言えば、やはり当時ばりばりに弾きこんでいた時期には到底及ばず、ここ数日地味な練習にも励み、かつてのものを取りもどそうとしているがまだ叶わず、という具合。具体的に言えば、アンプをいじくってする「音づくり」と、即興的に適当に弾く「それっぽいフレーズ」のふたつだ。

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 音づくり、これには当時、大いに不満を感じていた。アンプ界では横綱的、超有名メーカーの、自宅用としては決して悪くないものを置いているだけに、アンプ自体にはこんな小僧の要求する音くらい容易に生み出すポテンシャルがあるはず。だのに貧困な感性が災いして、結局は妥協に妥協を重ねた音で日々かき鳴らしていた苦い記憶がしっかりとある。それがブランクを経た今はどうだ、何の気なしにつまみをいじってつくった音が、ほとんど理想に近い音に仕上がっていたのだ。そこから微調整をすればするほどどんどん理想に近づき、今はもう弾いていてとにかくたのしい。主にいじるつまみは3つあるのだが、その目盛りに見る絞り具合は、当時、試すことはもとより、思いつくこともなかったような組み合わせだった。

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 もうひとつ「上手くなった」と思える面で、「それっぽいフレーズ」というナンジャソレな言い回しをしたが、ボクのギター時間のほとんどを占めるアドリブ、もとい「適当」に弾くフレーズが、「オ、イイジャン」と思うものが出てくるようになったのだ。まちがってもそれは、ジミヘンのような「頭で鳴っている音を再現できる」という高尚な種類のものではないが、当時ではありえない、それっぽい匂いのフレーズを鳴らすための引き出しが増えたのだ。そうなればもうたのしくて仕方がない。

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 このふたつに見出せる共通点として考えられるのは、センス、感性だ。つまりひとつの仮説として、ブランクの間に感性が変化するから、ブランク後に「上手になった」と思えるようなことが起こると考えられる。空白期間にたとえ技術は落ちようとも、その感覚だけは朽ちることはない。むしろ、森羅万象何からも受ける刺激によって、感性などはいかようにも変化(進化)するもので、そして感性に出自は意味を為さない。どこの馬の骨ともとれぬ感性でも汎用は可能で、だからブランクの間に得た感性が、良い方向へ大爆発し、あふれさせる勢いで空白を埋めることがあると考えることができる。

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 なるほど感性か。ようやく、とりあえず腑に落ちる解釈にたどり着いた心地だ。例えば何かに煮詰まったとき、感性の爆発を期待して、おもいきって離れてみてインプット期間を設けるのも一考かもしれない。少したのしくなってきたところでパソコンを閉じ、今夜もまたエレキギターを取り出そう。今日は12月下旬並の寒さ。手がかじかんでいる。上手に弾くことができるだろうか?