フィッシング・アンド・ミュージック。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 10月29日(木)

 珍しく今日の予定は昨日のうちに決まっていた。基本的に木曜日は自由な日だ。だからこそだらしのないボクはたいして予定を立てることなく木曜日を迎え、行き当たりばったりで何かをして一日の終わりに「計画」という言葉の重要性を噛みしめるのが通例となっている。よって今日は例外的な一日であったと言え、願わくばこれからはそれが新たな通例となることを欲してやまない一日の終わりである。

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 昨日確認したところ、翌日すなわち今日の天気は秋晴れだった。それでぴんと思い立った、「釣りに行こう」。第二次釣りブームが到来してから単身で釣りに行くのははじめてだ。どうしても少し寂しい感は否めないため、だから昨日帰りにレンタルショップに行きCDを4枚ばかし借りておいた。

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 話がそれるが、某大手レンタルショップの、1週間1000円で借りられるアルバムの枚数がいつのまにか5枚から4枚に減っていた。この1枚のちがいは大きく、その掲示を見たときの失望はなかなかのものだった。しかしそうなってしまったものは仕方がない、「直後の一歩」は「なら選りすぐりの4枚を探し出してやろう」というポジティブな方に無理やり自分を仕向けた。これが大成功で、7,8枚の候補の中から悩みに悩んだ4枚は、今日昼間のうちにすべて聴いたところどれも素晴らしくよかった。そこには「選ばれし」的な特別な感情も多分に含まれているのだが、それによって変に斜に構えることなく限りなく友好的な耳でもって聴くことに臨めたのだ。貧乏根性丸出しなのだけど、奇しくも、音楽とはそのような姿勢で聴くものだと思う。いや、音楽に限ったことではない。すべてに対して友好的な構えをとる。これこそがあらゆるものをたのしめるコツであり、なにより「素敵な人間になれる」という形で自分に返ってくるものだとまで思うのだ。

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 昼間は釣りに出ることに決めていた。だから、そのぶん少しだけ早起きをして、午前のうちに一応するべき決めていることをがんばることにした。あくびが止まらず途中で気絶しかけるなどあったがなんとか及第点に届く午前を経て、秋晴れ最高潮を迎える時間が来るといそいそと水辺へと出かけたのだった。

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 釣りはお世辞にも得意ではない。一匹釣れる自信などちっともなく、こんな自分がひとりで釣りに行くとき、釣れるたのしみと釣れないかなしみを天秤にかければぐいぐい沈むのは後者。よってひとりで釣りに行くなどまだ賢明は判断ではないのだが、だからこそ新しくCDを借りて準備していたのだ。

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 ボクは自分のまだ知らない音楽を聴くのを大きなよろこびとしている。大学生時分はその長い通学時間のおかげで、5枚を一度に借りてもその日のうちにすべて聴くことができていた。しかし今、時間的余裕で言えば変わらずそれは可能なのだが、電車という空間とはちがい家にいれば他にすべきことできることはたくさんあり、ただ音楽を聴くという時間はなかなか持ち得ない。そこで、退屈が予想される単身の釣りのお供として、新たな4枚のアルバムを連れて行ったというわけだ。いわば、手の感覚のみが必要な釣り、片や、耳のみが必要な音楽鑑賞、この両者の補完性は限りなく完璧であり、一切の無駄がない。かねてから効率のよいことに憧れてやまない自分にとっては、これほど満足を得られるものはないといわけだ。

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 新たに我がライブラリに加わった音楽は、前述のように最高だった。ふだんとちがうロケーションで聴けば沁み入り具合もまた格別。では釣りは……となれば、どうしてもここが本日のブログのオチとなる。3時間粘って釣果はゼロだった。幸先は悪くなかった。気温や水の濁り具合から推察して見繕った仕掛けで見事にアタリがあったのだが、あと少しのところでバラしてしまったのだ。今日は絶好調、と思ったのだがどうやらあれがハイライト。決めるところを決めないと、あとにも影響してくるということなのかもしれない。

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 音楽がすべて鳴り止んだところで釣りは諦めて、帰宅した夕方から晩ごはんまで、午前中の続きに励んだ。そして晩ごはん後こうしてブログを書き、これから1時間かけて約6キロのジョギングだ。たどり着ければ珍しく万事良好で一日を終えることができる。釣果ゼロ? もちろん計画通りである。では、いってきます、なんだか猛ダッシュしたい気分だ。



BGM

『孤独な旅人』 エレファントカシマシ