風邪っぴき、思う。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 10月18日(日)

 ここまでを振り返ってみると、自分は比較的健康に恵まれた体を授かって生まれたと言えそうだ。手術の経験は一度だけあり、それは髄膜炎(ずいまくえん)という病気を治療するためのものなのだが、当時のボクは確か幼稚園の年少くらいだったと思う。今となっては記憶にほとんどないのだが、断片的に残っているそれによると文字通り周りの大人におんぶにだっこで、暇さえあれば看護婦さんや母に大好きだったアンパンマンの絵を催促しては何不自由のない入院生活を送っていた。無条件にそのくらいの子どもには、ほとんど何をやっても許される無邪気さがあって、その上病気を抱えているともなれば鬼でも邪険には扱えない。そんな権利を最大限に振りかざしわがままの限りを尽くすボクに、それでもすべてを受け入れて甘やかしてくれた看護婦さんのやさしさは、実はそのときにすでに感じていた。だけど退院までわがままは続いたのだが、そのやさしさに報いなくてはと看護婦さんとのお別れのとき、笑顔に約2割から3割、感謝とそして少しの寂しさを増量してさよならを言ったあの感じは、今でもはっきりと覚えている。年少組にしてすでに打算をはたらかす子どもだったという捉え方もあるだろうが、そう結論づけられるのは少々不本意で、心には確かに伝えても伝えきれないほどの感謝と寂しさはあった。だけど幼い頃から己の感情表現の理想と現実のギャップに気づいていたボクは、努力してでも、ほんとうの気持ちを目に見える形で伝えようとがんばってみたのだ。だから、「打算的な」というよりかは「気を使いがちな」子どもだったと、そう自分では思っている。いずれにせよ純真無垢、天真爛漫な子どもではなかったということだ。

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 その後の少年は大病とは無縁にすくすくと成長する。けがの類もほとんどない。少年期はサッカーに夢中になり、それは激しく体がぶつかり合うスポーツで大なり小なりのけがはつきものなのだが、どういうからくりがあったのか、試合を終えてもすり傷ひとつ付いていないということは多々あった。後期に一度、体が宙に舞った着地の際に右手小指だけで全体重を支えるという無理な体勢になって骨折を経験したが、右手の小指だ、日常生活にはたいした支障はなく、また翌日から元気にボールを追いかけ勉学に励む中学校生活に復帰した。

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 そして中学の最後の最後に、立てつづけに両足首内側の靭帯(じんたい)をひねってしまった。幸い断裂とまではいかなかったが、派手に炎症を起こしてい、引きつづき高校でサッカーをするには手術が必要だとの宣告を受けた。しかも、その後リハビリが一年――とも。それでボクは、他にやりたいこともあったからと潔くそこでスパイクを脱ぐ決意をし、プレーヤーとしてのサッカー人生にピリオドを打った。

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 例えばもし、病気やけがなどの何か変わった経験談を話してくれと言われたら、ボクにはこれくらいの持ち合わせしかない(あとひとつだけ、5年生での自然学校のこぎり事件があるけれど)。常日頃、あらゆる場面で自分の運の無さを嘆くボクだけど、健康運に関してはひとつ自慢できることなのかもしれない。「運」と言ってしまえばあまりにも偶然備わったぽくなるが、これもひとえにこんな自分に産んでくれた両親に感謝ということなのだ。なくしたときに気づくものに「健康の大切さ」があるとよく聞くが、こんなボクだから一応日々、何もないときでも健康であることに慢心せず感謝をして、維持に努めるようにしている。それでもどうも近年は、毎年秋に一度、風邪をひいてしまう。今がまさにそれ。

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 今日一日は、ほんとうにずっとふとんの中にいた。実際は熱もなく深刻な病状とはほど遠いのだけれど、可能な日はとことん治療に専念してやろうということで、安静にしていた。昨日も半分そうで、だから今日なんてもう寝るに寝られず退屈なまま天井を見上げていればふと上記、これまでの病気やけがのことを思い返していた。たしか昨年の風邪をひいたときも、半分はここぞとばかりに読書に耽り、あとの半分は今日と同じようにこれまでを思い返していた。今年思ったことは昨年とほとんど同じようなことだったと思う。風邪っぴきの体でなんだが、つくづく自分は健康だなぁと。元気とはいえ、多少は体が弱っているからだろうか、こんなときは少しだけやさしい気持ちになっている。不謹慎だけど、風邪をひくのも悪くないなぁと、そんなふうに思うわけなのです。