RUBY TUESDAY. | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 10月6日(火)

 またこうして亀のように身を縮めてパソコンを叩く毎日だ。渇かぬ程度にアスファルトを濡らす雨のせいなのか、鳥などの鳴き声も、もともと少ないが人の往来の声もほとんど聞こえない。今日はまだいかなる楽器の音だって聞こえてこない。静かな静かな火曜日だ。

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 かっこよすぎて参る祖父が、明日手術を控えている。とは言っても深刻になるような種類のものではないそうだ。それに伴い今日から入院し、都合3泊4日、病院の厄介となるようだ。もうかなりの高齢、それでも定年などない自営業であるからして未だに第一線でバリバリ働き、重要な役回りなどにもすすんで名乗り出、寸暇を惜しんでは本を読み漁り、大量に所蔵する本には図書館がひっきりなしに寄贈を請うてくる。ほんとうに年不相応に若くて活力のある人で、「もしわしが死んでも放っといてくれよ。自分で這って墓まで行くからな」と冗談を飛ばしては孫を複雑な気持ちにさせる。そして、まぁ言っているうちは大丈夫だろうと思ってようやく笑う。

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 来たる手術に先がけて、今朝、母と父が見舞いに行った。当然ボクも行くものだと思っていたのだけど、それらしき誘いはないまま泥のような眠りから目覚めるともうふたりの姿はなかった。それで改めてたいした手術ではないということを知って、それからはのんびりと朝の情報番組なんかを見るともなく流しては朝食をもりもり食べた。どういうわけか食欲が旺盛だ。そういう季節だと片付けてしまうのも一考だけれど、如実にふくよかになる顔周りを見れば捨て置けない問題だと危機感に苛まれ、そろそろ今夜あたりから真剣にジョギングを再開させなくてはならないと目をつぶりうんうん頷く。

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 聞くところによれば今、空前絶後の規模の台風が牙を研ぎ研ぎ列島を睨みつけているという。週間天気予報を見たところしばらく思わしくないマークが並んでおり、今日のこの“申し訳雨”も、ひょっとしたら件の台風一座の余興なのかもしれない。諸問題によって地球の環境変化が叫ばれている昨今だ。局地的豪雨のように、台風だってその性質を変えていくこと(それはおそらくより凶暴に)だって考えられないことではない。どんな些細な規模であったとしても、何か自然災害が起これば損害を被る人はいて、こればかりはどうしようもないことで、だからあまり不謹慎なことは言えないのだけど、今も昔も「台風」という言葉にはどうにも少し心が躍ってしまう。とりわけ折しも今、「台風」にまつわる小話や歌が自分の中でブームであるせいで余計に。まぁなんだっていいからとにかく、今夜だけはせめて、安らかに走れる夜をお願いしたい。

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 そんなことをたまに考えたりしながら午前中机にかじりつき、時計の針がみんな上に集まったらきっちりお腹が空いてくる。ほんのさっき、たくさん食べたばかりなのにこの腹はもう空っぽになっているというのだろうか。それで、目ぼしいものはなかったから、夕べの残りの野菜の煮物や出来合いのきんぴらごぼう、そして納豆を無心でがしがし混ぜてそれらで少なめに盛ったごはんを、ゆっくり時間をかけてよく噛んで食べた。まったく大げさだとは自分でも思うのだが、和食が美味くてたまらない。

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 食べ終わると(大成功! 少量でも満腹)、まさにそのタイミングで父と母が見舞いから帰って来、どんな感じだったかと尋ねると、病室は個室だから泊まりに来いと祖父は言っていたという。明日も見舞いに行くという父に、「退院したらまた家にあそびに行くわ」と言づけ、また自室に逃げ込みパソコンを開く。そしてブログでもかこうと考えているうちに今日はこんな文章のようだ。

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 このあと夕方から久しぶりの子どもたちと会える。たのしみで仕方がない。聞けば彼らの小学校では新型インフルエンザの影響による学年閉鎖が相次いでいるそうだが、あの子らは大丈夫だろうか。外出のために、とはき替えたデニムのポケットの違和感に手をつっこんでみると、失くしたと思っていたシアトルのホテルのカードキーの一枚が出てきた。カードキーだから絶対に返す必要性はなく、チェックアウト時に言いも訊かれもしなかったけれど、そうかここに入っていたか。どんな心情なのか判然としないが顔がほころび、大きなため息が出た。