手段にへばるな。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 7月12日(日)

 いくらせっせとジョギングに励んでいても、ひとたびサッカーをした翌日などは筋肉痛に悩まされている。「一応ながらふだんから走っているのに…」と愕然としたが、ジョギングに使う筋肉と、サッカーに使うそれとはぜんぜんちがうものだと言うことなのだろう。

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 だけど、救いがあるとしたら、ジョギングをしているおかげで簡単にバテてしまうことはない。筋力はだめだったかもしれないが、サッカーをするための基礎体力は日々のジョギングによってまかなえているということ。サッカーだけではなく、おそらくバスケ(できないけど)や水泳(できないけど)、ボクシング(できないけど)などをしても、専用の筋肉はとても追いついていないだろうが、簡単にはへばらない基礎体力はジョギングで培うことができていると思われる。比較対象はあくまでも、何もしていない状態の「自分」だ。間違ってもそれらを日々一生懸命やっている人と同じだとは言わない。

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 ただ裏を返せば――裏というかむしろこちらが表なのだが、ジョギングのような基本的なことをやっていることで望める収穫は、あくまでも基礎体力だけ。それ以下ではないが、それ以上では決してない。ジョギングをせっせと頑張っているだけだと、ただジョギングが上達するだけであって、例えばマラソンなどにつなげたいと言うならばもっともっと、今のような生ぬるい走りから具体的かつ本格的なトレーニングをしなくてはならない。

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 要するに、「これさえやっていれば大丈夫だろう」というような考えで、基本的なこと(ジョギングとかブログとか)をやっているのは何の意味もないことなのだ。ただ続けていれば、確かにある程度の基礎体力は備わることはあるかもしれない。だけどそれは、続けていることで衰えを食い止めているだけに他ならない行為。やめてしまえばずるずると衰えていき、今日も続けられてはじめてそれまでのものを維持できて、そうしてほんのちょっとだけ今日のぶんが上積みされる。キツいものだけどそういうもので、向上したければ、基本的なことにプラス何か具体的なことをする必要がある。基礎ばかりが立派になってもおそらく大した武器にはならないし、第一ふつうすぎておもしろみがない。万能という意味では魅力的だけれど、それならば秀でたものがひとつあっての万能の方が魅力的。特徴と言ってもらえるような何か飛び出たものがある方が断然おもしろい。

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 ジョギングもブログも、この先もしっかりこつこつやっていくに越したことはないけれど、それをやった程度で達成感など感じてしまわないようにしなくては。娯楽として捉えるのならばそれで大いに構わないのだが、そんな目的ではじめたことでもないし、もはや今となってはこれらに娯楽性などほとんどなくなっている。忘れかけているのかもしれないが、それらは目的なんかではない、手段だ。