5月30日(土)
昨日一日は、その前の夜に久しぶりに上手く寝つけなかった上に、あっち行ってこっち行ってとこまめに予定が入っていたために夜が来る頃にはなかなか疲れていた。それでも通例ならば、金曜日の夜はビリヤードに行くことになっているので一応そのつもりでいたのだが、昨夜は疲れとは別の面の事情により急遽それはなくなった。正直言えば昨日はビリヤードに行っていてもおそらくいつものようにたのしむことは難しかっただろうと思う。寝不足は集中力を奪う。あれに関しては集中力の有無は死活問題だ。
昨日はどちらかと言えば、動きまわったくせに肉体的というよりかは精神的に疲れていた。だから、もう動けないというようなことはなく、むしろ活発に動いていた一日だからその弾みがまだ残っているような感じがした。しかし集中力が必要なことはできない。そうなれば、ぽっかり空いたフライデイ・ナイトはもう走るしかない。ここ最近のジョギングの理由はダイエットになりつつある。ならばさらに毎日走ることが好ましく、近頃は勤勉に、夜の寸暇を惜しんで走るようにしている。
ボクは自分のジョギングに関しては、距離を走ることではなく、回数を走ることの方がよりえらいというふうに考えている。もちろん家の周りをちょろちょろっと走るのを毎日続ければいいというわけではなく、ある程度の距離は必要だというのは大前提だが、要するに3キロも5キロもそう大差ないという考え。自分にとってはその差2キロよりも、ジャージに着がえて内から外に飛び出す一歩の方がはるかに距離があると思える。ジョギングに関してだけでなく、いつだってその一歩がなかなか踏み出せない臆病で甘い奴だから毎回そこはかなりの試練なのだけれど、そこさえ越えればなんだかんだで後はすいすいと足取りは軽い。
回数重視と考えているので、昨夜のように疲れていると感じるときは短めの3~4キロのコースを予定して家を出る。すると人間とは現金なもので、最大の難関(玄関から出る)をクリアしさえすれば疲れなど消え去り、地味に各地点ですこしずつ距離を伸ばすコースを選んで走るようになる。もっとも、おそらくできるはずなのに「右に行けばプラス2キロ」というような派手な延長となる二択では必ず左を選ぶのは自分のヘタレなところ。
昨日は特に顕著に出た。疲れていたくせに、終わってみれば4キロ半。当初の予定は3キロ程。ちょいちょいつまむように途中で距離を伸ばして走っていたのだ。ふと振りかえってみれば、疲れていると感じるときほどそんなことをしている気がする。精神的な疲れと言ったが身体だってもちろんいつもよりかは疲れていて、それと矛盾する行為の「つまみ走り」は、「どうせ走るんだからとことんまで…」というどケチ根性によるものだとすれば納得がいく。
ボクのやっていることはジョギングといってもその端くれ。所詮ボクが言う少々の疲れといっても、それは3キロを5キロに、5キロをそれ以上に増やすことを不可能にするほどの疲れではないのだ。つまりは理論の上ではいつでも走れる。それと、疲れているときほど、手口はともかく距離を伸ばそうとするということは、なにか悪条件である方がむしろがんばるという法則を言えるのではないか。その日ひとつがんばったのなら、ヨッシャ他もがんばろう、と思うのかもしれない。そんなふうに連動するのかも。
たくさんの仮説がきらめく夜でした。