5月11日(月)
締まりのなく何不自由ない中よりも、いろいろと制約など不自由がある厳しい環境の方が気づくことや発揮される力といった、密度が濃くなるものだ。
今日は朝から電車を乗り継いで皮膚科に行ってきた。定期のない生活になってから、誰に対してか分からないが、「電車に乗る」というよりかは「電車に乗らさせて頂いている」というような感覚になっている。定期があった頃は、気持ちに関しては電車にはほとんどいつも無料で乗っていた。だから特にあてもなく都会に出て行って、別に何をするでも買うでもなく帰ってくるなんてことが多々あった。今はそれがしたくてもなかなか難しい。だから今日病院に行くことを、というよりかは電車に乗ることを密かにたのしみにしていた。「ついでに買い物に行ける」という意味で。こんな不純な動機だと治る皮膚も治らないかもしれない。でも、最優先事項は皮膚科であることだけは間違いない!
お昼過ぎに病院を出て、それから久しぶりに念願の買い物に繰り出した。その広大なモールにはたくさんの店舗が軒を連ねており、量を見るにはうってつけの場所。平日にも関わらず意外と多くのお客さんで賑わっており少しそれが煩わしかったが、久しぶりの買い物はとてもたのしい。もともと買い物は好きなのだけれど、「買い物はたのしい」と再発見できた気がする。「少し距離を置くと改めて良さが分かる」とはこれにも通ずるのだ。
そう、いろいろと物色して回っているのはたのしいのだが、徐々に焦りの色がではじめた。欲しい!と思うものがないのだ。良いと思ったのはいくつかあったのだが、それらはすべてどこか決定打に欠けるものばかり。せっかく身を削って買い物に来たのに何も買わずに帰るとはこれ愚極まれり、と思えば思うほど、夏日に近い気温のせいもあるのかじわりと汗がにじんでくる。思った以上に自分はケチな考えなのかもしれない、とは厳しい環境になったからこそ気づくものの番外編。
結局何も買わなかった。下手なもの買って後悔するよりも、買わなかった分だけ得したと思えば電車賃なんて安いものだというプラス思考。どケチ思考。どケチついでにすぐに帰らずに、そのショッピングモール以外に華やかなスポットに乏しいその周辺を、どうせだからと散策してみた。とにかく、本当に歩き回った。骨まで余すことなく使いきるみたいに、ここまでその駅周辺をたのしんだら、きっと財布からJRに嫁いだ小銭も喜んでいることだろう。自分のケチっぷりに涙が出る。
そうやって、めいっぱいたのしむためにとにかく足を使ったせいで、家に着く頃にはもう疲労はピークに。ここ最近なかったくらいに疲れたかもしれない。だけど、ひとりで出かけた中では、ずいぶんたのしめた。厳しい環境の方が逆にたのしめるのかもしれない。やや、これは大きな発見となったかもしれない。
ふと今振り返ると、やっぱり買っておけばよかったなと思うものがひとつあった。それは、これからどんどん暑くなるに伴って、どんどん必要なくなるものだけど、それでも手元に置いておきたいと思えるような小物。クオリティは高いのに手ごろな価格。やはり買っておけばよかったかなと今さら思う。そう言えば最後まで迷っていたっけ。「人間には、やった後悔よりもやらなかった後悔の方が多い」とは最近仕入れた名言。まさにそれだ。あそこまで悩んだものならば、もう買っておくべきだった。次に行くときはきっと、今日よりさらに夏だろう。まだあったとしてもきっと買う気にはならないだろう。そう思うとなんか、寂しい。
今日とても疲れたとはさっき書いた。でも、だからこそ今からジョギングに繰り出そうと思う。今日は厳しい環境に身を置くことで何かいいことがあるというテーマだし、やった後悔よりもやらなかった後悔の方が多いのなら、やった方がいいということだ。
別に、否、大いに良いことだけど、自分で退路を断っていることが多い気がする。