3月15日(日)
そんなこんなで昨晩は無事ジョギングを達成することができた。憂鬱だったのは玄関で靴を履くときまでで、外に出てみると意外と爽やかな気分で走り出せた。なんとなくだがそんな気はしていたのだが。いつだってそうだ。いつだって自分は、はじめる前の不安ばかりが先行してなかなか踏み出せないことが多い。取りかかってしまえば、結局はたのしんでいる。そろそろこの感覚が根付いてもいいとは思うのだが。
ジョギングはとてもいい。有酸素運動という体にいいことをしながら、音楽を聞くことができる。かねてから「~ながら」が好きな自分にとって、ジョギングを続けられているのは自然なことのように思える。逆に言えば、そのふたつしかできない時間だからこそ、そのふたつだけに身も心も捧げられて、密度の濃い時間が過ごせるのだろう。
ジョギングするとき、見たいテレビ(ほとんどサッカー番組)のはじまる時間から逆算して家を出ることが多い。そして、ぐるっと4,5キロのコースを一周して、最後に軽く時間を気にしながら歩いて、ちょうどいい頃合いに家に帰り着くといった具合だ。上手くいくと、完璧な時間の使い方ができた、とひとり悦に入ることができてたのしい。でもときどき、体調がいいのか走るペースが速まる日があり、予定よりもずいぶん早く帰ってきてしまうことがある。そういうときは早めに家に戻るのもいいのだが、いつもそのまま周辺をぶらぶらしている。
ボクの住む家は静かな住宅街にある。夜になると、それはとても静かで、近くにコンビニも何もないため、その時間に出歩いている人というのはあまりいない。時間的にも、ウォーキングや散歩をする時間でもない。そこをぶらぶらと徘徊している。
服装はもちろん黒っぽいジャージ。そして、たった今まで走っていたため、足取りもふらふら頼りない。大好きな曲なんて聴いている日にゃあ夜の力も手伝ってか、声を殺して大口開けて歌っていたりする。
そこに、黒い大きな犬が突然ぬっと視界に入ってきた。首元からは縄が伸びておりそれを目でたどるとそこには飼い主がおり、それはたまたま夜中の散歩だったのだが、いかんせん気配まったくなく突然のこと、そのうえものすごく大きな真っ黒の犬だったので、ボクは心臓が止まるほどびっくりした。だけど、かねてから「あまり心の動きを見せたくない」と意識している自分は、必死にひた隠しにして、余裕のあいさつ、にこりと微笑んで軽めの会釈をした。自分では爽やかスポーツマンとして上手くできたつもりだったが、心臓の鼓動が強烈すぎて、記憶はほとんどない。
きっと、かなり気味悪い光景だったろう。夜中に、だらしないジャージ姿の男が住宅街を千鳥足でふらふら練り歩き、ときどき宇宙に向かって口をぱくぱく開閉する。その不審な人物に、不意に勇敢な黒犬を近づけてもそいつは一切動じることなく、飼い主を一瞥してにやりと口角を持ち上げる。
完全に気持ち悪い。逃げるように小走りになった飼い主のおばちゃんは何も間違っていない。夜中に走るのはどちらかと言えばふつうではないことなのだろう。それをさせていただく身として、せめて人様にとって無害な、空気として、夜の一部として振る舞わなくてはならないと考えさせられた。それが夜中にジョギングをする人のマナー。