プラス思考というひとつのオプション。 | デュアンの夜更かし

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日記のようなことはあまり書かないつもり。

これまで書いてきたブログの数もそこそこたまってきて、もう過去に書いた内容ですぐには思い出せないモノもある。

だからこの先続けるにあたって、以前に書いたことがある内容を再放送してしまう可能性があるかもしれない。でもまぁ、その都度ほんとに思っていることだから別にいいか。

今日の内容はおそらく以前に書いたことがあるようなこと。


やはり物事は考えようだ。あぁそうだとも。

極端な話、それが黒でも白だと思えばそれは白だ。

例え夜でも、朝だと思えばそこは朝だ。


自分の世界の話では、すべてのことを、正当化というレンズ越しに見ていいんじゃないか。

正当化という言葉のチョイスが正しいのかは不明だが、なんて言うか、プラスに働くような見方をしていいんじゃないか。とどのつまり、プラス思考。

もちろんプラス思考に自分を持っていくのは人によっては至難の技だ。

でも、可能であるならば、その能力があるのなら、困難な状況下ではプラス思考というのはすごく頼りになる。

一歩退いて客観視して、プラス思考に躍起になっている姿ほど切ないモノはないが。

あかん、これを言ったらおしまいや。


困難な状況で、考え方を時に45°、時に90°、時に180°変えられるようになれば、あれこれ頭を悩ますことが減る。時に360°…とかおもんないことは言わない。

すごくすごく気に入っていたお皿が割れてしまった。あぁ悲しい、あぁどうしよう。あぁ悔やんでも悔やみきれない。破片を集めて合わせて接着剤でひっつけたら元に戻るだろうか。戻らなかったらどうしよう。あぁもう終わりだ。

みたいな状況。

割れたお皿はもう元には戻らないけど、新しいお気に入りを見つけるチャンスなんだ。

決めつけてはいけない。新しいお気に入りは必ずまた見つかる。

『執着心を捨てる』ことと『あきらめる』ことはまったくの別物だ。別件だ。ベッケンバウアーとかおもんないことは言わない。


できないはずがない。

『考え方を変える』という、あくまでもひとつのオプションを持つのは良いことだ。


今日も長いな、長すぎるな。