例えば、相手にボクの興味・関心のある話をする。好きなモノの話ゆえに情熱を込めて話す。
その話を聞いてくれる人。でもその人はボクの情熱すべてを感じとってはくれない。その話がおもしろくない場合も当然ある。
逆の場合もしかり。
ここで2人の間に生じる温度差。
温度差には敏感な方だと思う。
こんなものできれば感じたくはないのだが、まぁ人と関われば程度のちがいこそあれ、ほぼ100%生じるものだ、温度差は。
できれば同じ温度を共有したい。できるだけ等しい温度を共有したい。
以前にも書いたことがあると思うのだが、温度差があるのはもうしょうがないから、延々しょうがないことについて嘆くことはしない。ただ、それを感じた瞬間、少し寂しくなるのは事実。
かと言ってあらかじめ自分の温度を下げた、妥協した温度の話をするつもりはない。できない。ってゆうかそんな温度調節機能は備えてない。
『温度差がある』のなら『温度差がない』という瞬間もある。物事には必ず対極をなすものがある。
この『温度差がない』という状況、つまり同じ温度を共有している瞬間というものはとても気持ちいい。
だから、心ではいつもその瞬間に憧れを抱いている。