2018.8.11
さてさて、楽しいツーリングの後は 家族サービスを してきましたよ(^▽^;)
・・・歩きすぎて腰、イテェ~(笑)
ではでは、続きです
石段上がり切ると
うおっ!
ビックリじゃΣ(・ω・ノ)ノ!
鷲?の銅像??(@'ω'@)ん?
説明書き読まんかった(笑)
帰って調べたら『イタリー記念碑』なるもので 1928年に、白虎隊士をたたえてローマ市民からとして贈られた石碑らしいw
少年武士慰霊碑が あったり
白虎隊士自刃の地なるものも この先に
立派な通路を 歩きながら
石段を 見下ろす先には 人だかりが
下りてく途中で こんな看板を目にする ぶらり
・・・もうねぇ、気になって堪らん!!
行よね~♪ ( ゚∀゚ ) ハァーハッハッ!!
武士道憧れたハイゼ父子夫婦
ここに眠る
そして横道に逸れましたが 石段を降り切ると
白虎隊殉難士各霊塔がありました
白虎隊
慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いにより戊辰戦争が勃発した。会津藩は旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となった。
会津戦争に際して会津藩が組織した、白虎隊(16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊)は本来は予備兵力であり、本来城下防衛の任に当たるべく隊であったが会津藩では若松城(鶴ヶ城)を死守すべく戸の口原十六橋に向かったのは、白虎隊士中二番隊の37名。
そしてその中の17名は無事に入城しましたが、20名は炎上する城下を前に、玉砕か帰城かを巡って、激論を戦わした。敵陣突入を提案する者もいれば、鶴ヶ城が簡単に落城するはずはないとして帰城を主張するものもいた。しかし、最終的に「誤って敵に捕らえられ屈辱を受けるような事があれば、君主に対して大変申し訳なく祖先に対しても申し訳ない。この場は潔く自刃し、武士の本文を明らかにするべき」との決断にはじめて全員が同意し、一同列座 南鶴ヶ城に向かって訣別緒意を表し、全員が自刃した。
唯一喉を突いた飯沼貞吉(のち貞雄と改名)のみが一命を取り留めた。飯盛山での出来事についてその重い口を開いたのは晩年だったそうで、そこから白虎隊の悲劇が現在に伝わっている。
と、こんな話 行ったときは全く知らない ぶらりは
白虎隊士石像
石像が望んでいる方向が鶴ヶ城だとか
この時は位置関係、よく分かってなく
絶景じゃなあ~♪
とただただ眺めていただけど
無知は罪 というけどホントじゃね
ここに行かないと『白虎隊』って言葉は知ってたけど どういうものかまでは知らないままだったろうなあ
そして話し戻って、ここへ来た本命に向けて
歩いて行く途中に
写真の矢印の屋根みたいなものの先には
先ほどの白虎隊士が望む 鶴ヶ城が見えるらしく
肉眼では分かりずらいのでコデジでズーム
なーるほど (・∀・)
白虎隊士達に鶴ヶ城が見える場所で弔ってやりたいという、飯盛一族から思いなのでしょうね
納得しながら坂道を 下りて行くと
( ̄^ ̄) いよいよ本命の
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キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
国重要文化財 さざえ堂~♪
なんでも特色として
1、上りも下りも階段がない
2、一度通った所は二度と通らない
って、摩訶不思議な建物です
会津さざえ堂
寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂です。
正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。(重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」)
当時飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、その住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物です。かつてはその独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。
また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという世界にも珍しい建築様式を採用したことで、建築史上その特異な存在が認められ、平成8年に国重要文化財に指定されました
たまらんわ~、行くよ♪![]()
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入口からして、なんかええ感じ♪
御札の嵐じゃけどな(笑)
通路のこんな感じで 上へ上へと延びてます
てっぺんまで行くとなんとも言えない造形に お札!お札!!
そして今度は 下っていきます
がっ!!
まさに一方通行で、上がって来る人とはすれ違うことなく下りれます
所々の彫刻を 見ながら和む ぶらりw![]()
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さざえ堂を 出て目の前の石段を 降りると
目の前には こんな風景が
凄い量の水が流れてます
その上流も こんな感じで
戸ノ口堰洞穴(とのぐちせきどうけつ)と繋がっています
猪苗代湖畔・戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊士ら二十名は、鶴ヶ城を目指して、この長さ約一五〇メートルの洞穴を潜り、命からがら、飯盛山の中腹へと至った
主君の御城、鶴ヶ城の安否を確かめんとする一心で、冷たい水が容赦なく流れる洞穴の中を、
身を屈め、足を取られながらも、進んでいった
そうして、飯盛山の中腹に辿り着いた末、彼らは城下の黒煙を目にすることとなる
その無情―、少年たちの無念、思うに余りある
とされる
これだけの水量がある洞穴を150mも歩くなんて、容易いことではなかったろう
そして鶴ヶ城の無事を祈り望んだ情景に、自分たちの事より 君主や祖先のことを思い自刃していった10代の若者たちの物語がある飯盛山
遅れながらも知ることが出来た事に感謝しながら
ただただ、ご冥福を祈るばかりでした (-人-)
【 つづく 】

























