お客様に「美味しい」と言っていただくような感動の味をお出しするには、常に味の改良を重ねていく「味変え」が絶対に必殴打。そう考えるようになって、それからは以前にもまして「味変え」に熱心に取り組むようになりました。
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 2018年8月3日に亡くなられた、「永福町 大勝軒」初代店主の草村賢治さん。2008年に「永福町大勝軒草村賢治 奇跡のラーメン店は、どのように誕生したか。」 という書籍を出版しています。その3年後になる2011年に「味変え」をテーマにした書籍を出版。こちらが手元にありましたので、レビューさせていただきます。


 「永福町 大勝軒」が創業した1955(昭和30)年は、ラーメン界においてはターニングポイントになった年。「味の三平@札幌」では「味噌味めん」、「大勝軒@中野」では「特製もりそば」がメニューに加わり、「元祖長浜屋」では替玉がスタート。富山の「ブラックラーメン」や、長野県伊那地方の「ローメン」など、それぞれの土地にあわせたラーメンが生まれた年でもある。


 テーマになっている「味変え」は、タレやスープを常に見直し、味を向上させ続ける事。これを徹底的にするようになって行列ができるようになったと語っている。「常に味を向上させる姿勢」といえば、ラーメン評論家の故・武内伸氏が、荻窪の春木屋で聞いた言葉を紹介した「春木屋理論」が知られている。味は違えど、長年の人気店は「味を変え、お客に常に喜ばれる事」の大切さを知っていたという点で共通していた。
 草村さんは、丼の中だけでなく、店内の各所、取引先や家族、従業員といった他の人との関係にも「味変え」の大切さを説く。新しい事への挑戦、自分の思い通りにはならないと自覚したうえで、ラーメン一品に集中する。良い時に更に努力する。そのような姿勢が、名店と呼ばれ続ける理由でもあるのだろう。


 「永福町 大勝軒」は多くの取材を断る店でもあった。「大勝軒」の名前の由来、特に、無関係とされる「丸長系大勝軒」「人形町系大勝軒」との関係や、永福町の店を閉めてまで1985年に出店した、渋谷プライム「麺道場」を3日で撤退した時の事情など、訊いてみたかった事が叶わず、個人的には残念でした。


 出版時は83歳だった草村さんは、2年前の心臓手術を無事乗り越えた後、毎日味のチェックを怠らず、厨房に立ち続けていた。その理由として本書では「父母が働いていた姿」「22歳で亡くなられた最愛の息子」を挙げている。2016年頃に体調を崩されるまで厨房に立ち続けていた草村さんが守り続けたこの店の行方は、店を継いだ娘夫妻による「味変え」にかかっています。