〈気仙沼市二ノ浜…C地点〉

 前回の小々汐から海沿いの道を2kmほど南に進むと二ノ浜にも昭和8年の津浪記念碑がある。正面には「昭和八年三月三日 大震嘯災記念」、標語は「大地震 それ来るぞ大津浪」となっており、前述の「どんと沖鳴り~」とは異なっている。意味合いとしては「地震があったら津浪の用心」と同じだが、こちらの標語はより緊迫感があるように思う。
 右側には「この碑を平成23年3月11日に発生した東日本大震災の津波到達地点に移設す」と新たに刻印されており、震災後この場所に据え変えられたらしい。以前は県道218号付近(明治29年の津波到達地点?)にあったようだが道路工事等に伴い現在の場所に移動したと思われる。裏側には他の石碑と同じく津波発生時の状況や被害などが記載されており、二ノ浜地区は明治29年や昭和8年の津波による犠牲者はなかったが東日本大震災では地域住民6名が亡くなっている。


 〈気仙沼市鶴が浦…D地点〉


 鹿折のほほ先端、大島が目の前に見える鶴が浦地区は三ノ浜とも言い、漁港のそばにある御嶽神社の鳥居に寄り添うように昭和8年の津波記念碑がある。上写真右端に辛うじて見える看板はチリ地震津波の到達水位を表しているが、明治29年の三陸大津波はこれを遥かに越える波高の津波が同地区を襲っている。
 鶴が浦の津波記念碑は標語が「大地震どんと沖鳴りそら津浪」となっており、前述の浪板地区や小々汐と同じ様式になっている。この昭和8年の三陸大津波で旧鹿折村の人的被害は殆どなかったなかったものの、この鶴ヶ浦では男女計4人が犠牲者になっている。こうした過去の事例があったためか鶴ヶ浦地区の住民は津波の防災活動に熱心であり、特に浦島小学校の取り組みは津波防災教育のモデルとなっていたが震災後児童数が減少したため2013年4月より鹿折小学校と統合されてしまった。
 
 この鶴ヶ浦地区もそうだが、津波記念碑は神社のそばに据えられていることがあり、特に震災後の移設ではそうしたケースが多いように感じる。神社の近くなら人目に付きやすいし神社は津波の被害を受けなかった所が多かったことも関係しているのかも知れない。