毎年5月と8月に三陸を訪れて現地を回ったり地元の特産品などを購入しているが、この他にも震災関連や歴史津波などの書籍や資料などを探すという目的もある。震災から14年以上経つと西日本の自分が得られる情報は限られてしまい、深掘りした内容などはどうしても現地の新聞社や郷土出版書などに利がある。



 気仙沼市内の書店では報道写真集とノンフィクション書籍を購入。「海と生きる」は気仙沼のキャッチフレーズでもあるが、本書は地元の女性グループ(気仙沼つばき会)が震災後立ち上げた「漁師カレンダー」のプロジェクトを追跡したドキュメンタリー作品。今さらだが自分はこのカレンダーのことを知らず、見ていれば買っていたと思うがカレンダーの発売される時期を考えれば自分が現地を訪れる時期は「端境期」だから仕方ないのかもしれない。なお、このプロジェクトは残念ながら2024年に終了している。
 報道写真集を見ていたらその中に先日買い物をした「酒のサイシン」さんが写っており、店舗が被災したのは漠然と知っていたが、あらためてその惨状を知った。



 吉浜の書店「カドベッカ」さんで購入した絵本はブロ友さんか言う「地域限定中の地域限定」版という書籍。大船渡市内では書店を何軒か回ったがこの絵本は見かけなかったのでこちらへお伺いしなければ入手できなかっただろう。
 「吉浜のつなみ石」は前半が絵本で後半が資料テキスト的な内容となっているので学校の教材にも使われているのかも知れない。高台移転に尽力した村長の新沼武右衛門や柏崎丑太郎の取り組み、津波石発掘の経緯など吉浜地区の歴史津波を知る資料的価値は高いと思う。
 もう一冊の「ふろしきづつみ」は県立高田病院で被災した体験談がもとになっているが、これは著者である小松さんの御母堂本人の体験だったようだ。ということは先日自宅の居間でお会いしたばあちゃんがそうだったのか…と今更ながら気がついた。著者の小松さん自身から貴重なお話を伺えたことも大きなプラスだった。





 唐桑のビジターセンターでガイドの方から頂いた「気仙沼における明治・昭和三陸津波関係碑」は津波記念碑を調べる者からすると一級品の資料と言える。石碑の場所や設置された由来、地元の人への聞き取り調査などもう学術調査員レベルのリサーチ力に感服するばかりで在野の郷土史家のすごさを感じた。また、石碑の碑文は風化によって読み取りが困難だったり難読な漢文書きのケースもあるが、碑文の詳細な解説がなされているのもありがたい。





 南三陸町にある「南三陸311メモリアル」を見学した時、「志津川の風景ー昭和54年ー」という写真展が開催されていたので見学したのだが、その時受付で写真集も販売されていたのでこれも購入した。自分は志津川とは全く縁も何もない人間だが、記録された日常の風景は「なつかしさ」を感じずにはいられない。昭和54(1979)年といえば自分は小学3年生だが、その頃遠く離れた志津川の町ではこのような生活が営まれていたことには感慨深いものがあるが、自分がその後この町に足を踏み入れることになろうとは夢想だにしなかった。ただ、こうした風景も津波は全て奪い去り、その後のかさ上げで土の下に埋もれてしまった。
 写真集の中にある「町内の案内」看板を見ているとこの時すでに「ホテル観洋」や「ウジエスーパー」などの施設が志津川にあったことがわかった(創業はいつ頃なんだろうか?)。



 石巻市にある伝承施設「MEET門脇311」を見学した時受付横の売店で何かないか眺めていたら「子供の視点で伝える震災漫画」というのがあったので3冊まとめて購入した。震災当日10代だった子供たちの「今だから話せる」的な経験談だが、内容については施設内のシアタービジョンでもアニメーションとして見ることができる。
 子供たちは大人が思っている以上にタフな所がある反面メンタル的にデリケートな面もあるし吐き出したい気持ちを圧し殺して心を封じてしまうということを改めて考えさせられる。



 今回もお世話になった石巻のブロ友さんが地元紙の震災関連記事を自分のために保存しておいてくれた。3月11日前後の河北新報や石巻かほく紙はやはり取材内容が深く、こちらでは報道されないような内容が多い。震災直後は全国紙も被災地の詳細を伝えていたが、河北新報や岩手日報といった地元紙はそれらとは違う内容に感じた。
 他にもパンフレットやガイドブックなども多数頂きました。あらためてお礼申し上げます。



 コレは震災関連書籍とは関係ないが、地元書店の支援ということで…(笑)。