旅をするということは普段の日常を離れて「非日常」を楽しむものとも言われる。普段なら縁のない物事に触れることによって旅の気分も盛り上がるというものだが、駅弁もそうしたアイテムのひとつであり、旅先で駅弁を食べていると「あ~自分は今旅をしているんだなぁ…」という気分になる。デパートの駅弁フェアなどで目当ての駅弁をゲトして食べることもあるがやはり「ソレジャナイ」感は拭えない。


↑パッケージなどは何故か捨てられず残っていたりする。峠の釜飯(横川駅)や下関の「ふくめし」みたいに容器が陶器製だったりするとつい「何かに使えるのではないか」と思って取っておくのだが結局放置プレイになるのではあるまイカ。
 自分はガチの鉄ちゃんではないので車窓を眺めながら駅弁を楽しむようになったのは震災後仙台を往復するようになってからなのだが、それ以前にもツーリングの途中などに最寄り駅などで駅弁を楽しむ機会はあった。ちなみに初めて食べた駅弁は三原駅のたこめし(パッケージ写真中央)で、確か小学校高学年の頃だったと思う。以下に紹介する駅弁は主に90年代に食した駅弁だが、群雄割拠の駅弁界では消えたものもあると思う。併記した値段も当時の価格なので今見ると隔世の感がある。



↑これは九州ツーリングの上陸初日に宮崎駅で購入した「椎茸めし」二段重ねで920円也。今なら駅弁は1000円前後なので当時としては高額な一品だったのではないだろうか。炊き込みご飯の上に宮崎名産の肉厚椎茸がトッピングされ、これだけでも充分だかおかずも豪華な品々が。


↑鹿児島駅では幕の内弁当をチョイスしているが当時のメモを読み返していると「豚骨弁当」が売り切れだったためこちらを購入したらしい。幕の内弁当は特徴がないのが特徴、というと失礼だがハズレがないのも幕の内弁当ではある。余談だが、当時は「西鹿児島駅」がメインターミナルと知らずに「鹿児島駅」へ行ってしまい、何かテレビなどで見た雰囲気と違うなァ…と思ったことが思い出される。



↑「特製地鶏弁当」は別府駅で買ったのだろうか? 今は各地で「地鶏」ブランドが持て囃されているが、当時は地鶏という食材そのものが珍しかった気がする。トッピングの鶏肉には歯ごたえがあった、とメモに書いてあったがこれは地鶏故か?値段は当時620円だった。



↑帰りはフェリー乗船前に鮎の姿寿司を購入していたので別府駅かフェリーターミナル辺りで調達したのだろう。鮎は宮崎県五ヶ瀬町の清流で獲れたものらしい。



↑所は変わって松山駅で醤油めし620円を買い宇和島行きの車中で楽しむ之図。醤油めしは関西でいう「かやくご飯」みたいなものなのだろうか(違っていたらすんまそん)。醤油で炊いたご飯に錦糸玉子や山菜などがのった素朴な駅弁だが、発売は昭和35(1960)年のロングセラーとのこと。蓋には伊予の方言が書かれている。



↑乗り換えで下車した宇和島駅では昼食用の「斗牛弁当」を買い求むるに至れり。タレのしみたご飯と牛焼肉、紅生姜のアクセントが善き哉。これも当時620円となっていたがこの頃は600円くらいが駅弁の相場だったのだろうか。


↑なお、全国の駅弁についてはアクションコミック(双葉社)から出版されている「駅弁ひとり旅」と「新・駅弁ひとり旅」が詳しい。「駅弁ひとり旅」のコミック版は絶版なので古書店やオークションで探すか電子書籍版で全15巻と台湾編、三陸編が閲覧可能。「新・駅弁ひとり旅」は前作で準レギュラーだった白鳥菜々が主役となっている(現在6巻まで発売中)。駅弁に興味のある人はご覧あれ。

※震災後に購入した駅弁については次回記事にて掲載予定。