これまで明治29年の三陸大津波をブログで取り上げた時に引用してきた「風俗画報・臨時増刊 大海嘯被害録」について少し書いておきたい。
風俗画報は明治22(1889)年から大正5(1916)年まで月刊誌や増刊が全517冊発売されており、東京神田区の東陽堂という出版社が発行している。発行目的は全国の風俗(土木、工芸、器財、動植物、遊戯等)を絵画によって後世に伝え、考証や研究に役立てたいというだけあって挿し絵が多用されている。今ならグラフ誌や写真報道誌みたいな立ち位置だったのかもしれない。風俗画報では明治21(1888)年に発生した濃尾大地震も臨時増刊で報じているが、災害報道をビジュアルで伝えるインパクトは明治20年に発生した磐梯山大噴火で大きな反響を得たことがきっかけとされている。
明治29年の三陸大津波は甚大な被害を受けたエリアがあまりに広大なため三回に分けて発行され、上巻(第118号)が7月10日発行、中巻が同年7月25日、下巻が同8月10日となっている。
ちなみに自分が入手したのは上~下巻合刷の復刻版で、大槌町の書店で震災関連の書籍を探している時に偶然発見した。風俗画報・大海嘯被害録は三陸の津波史を取り上げた書籍でしばしば引用されていたのでいつかは読んでみたいとは思っていた。そのような時に見つけた本書は1冊2000円だったのでちょっと悩んだが資料的な価値は充分あると判断して購入、あの時買っておいて良かったと今更ながら思っている。
被災地の見聞録は宮城県南部から岩手県北部の順で掲載されているので記事を書く際目的の地域を探すのに便利だった。思えば当時陸の孤島と言われ交通の便が悪い三陸沿岸部を、しかも津波でズタズタに破壊された地域を取材するのは言語に絶する苦労があったと思う。
別項では近世に発生した歴史津波の記録や津波の原因などが掲載されているが当時は津波発生の原因がはっきりしておらず、海底火山の噴火や潮流同士の衝突、沖合いで発生した暴風による高波など様々な説が挙げられているのは興味深い。
巻末には当時の広告も掲載されており、市民の暮らしなどを知る資料としても参考になる。ちなみに風俗画報は販売価格が拾銭と表記されていた。また、当時現地で撮影された写真を各地で幻燈公開(今のスライド上映会みたいなものか?)したり写真集を販売し、義援金の募集に利用したようだ。
※なお、当時の文献等は脚色や又聞きによる事実誤認や不可解な記述もあり、史実なのかどうかは検証が必要な部分もあると思う。この大海嘯被害録の中にも掲載された内容に少なくとも1点明らかな捏造(意図的なものかどうかは別として)があることが分かっている。掲載された絵図にしても津波に襲われる瞬間の様子をその場で撮影やスケッチすることはできないから聞いた話から想像したものと思われるが、だからと言って本書の資料的価値がない訳ではなく、むしろ明治29年の惨事は昔の出来事ではなく東日本大震災と何ら変わらないことを知らしめる文献だと自分は思っている。