今回の行程では前回の反省点を踏まえて明治29年と昭和8年に起きた三陸大津波の痕跡を探すという課題を設けて沿岸部を移動した。石碑については震災後メディアが取り上げたこともあってある程度の知識はあったが、調べていると他にも「津波石」という物がいくつか残されていることを知った。津波石とは津波によって海底の巨石が内陸まで運ばれた物を言い、明治の三陸大津波では大船渡市赤崎町(重さ10t)や田野畑村羅賀地区(重さ20t)の物が海岸から何10mも内陸部まで打ち上げられているのが確認されている。この2ヶ所はルートの関係で見送ったが、三陸町吉浜地区にも昭和8年の大津波で打ち上げられた津波石があることが分かり、こちらの方へ行くことにした。

↑津波石から海の方向を見た所。津波石は高さ約2,1m、縦横が3,7mХ3,1m、重さが推定32tある巨大なもので、吉浜川の河口から200mあまり陸側へ押し流されたとされている。昭和8年の三陸大津波後に津波石として保存されていたが、その後付近の道路整備によって埋められてしまいその存在も忘れかけられていたという。
震災後、津波石の所在を探していた地元の故・柿崎門弥さんは周囲を捜索したところ津波石の上部が土から見えたのを発見、その後掘り出されて現在のように再び保存されたとのこと。
↑写真では判別しづらいが津波石には文字が彫られており、発掘時この文字が決め手になったのだろう。刻印の文字は下の通り。
津波記念石
前方約二百米突吉浜
川河口ニアリタル石ナル
ガ 昭和八年三月三日ノ津
波ニ際シ打上ゲラレ
タルモノナリ
重量約八千貫(※約32t)
津波石の場所についてはこちら↑ Google
〈明治の三陸大津波と吉濱村〉
吉浜の津波石について調べているとさらに興味深いことも分かった。吉浜地区は明治29(1896)年6月15日に発生した三陸大津波では203名(※郷土史家の研究では220名の説もあり)が犠牲になっている。海岸近くの人家や土地は津波で壊滅的な被害を受け、当時出版された「風俗画報・大海嘯被害録」にも吉濱村(当時)の惨状が掲載されている。↓
「吉濱にては激浪百尺(※約30m)以上に達し、抱園の巨木半ばより折れて海に向け倒れ、丈余四方の巨厳崖下に落ちて路上に横たはり砕破せる。ニ、三の瓦葺屋根は山中の高処まで吹きよせられたれど其他は恐らく流出して激浪と共に嘗め去られたるならん。※大津波は巨木をなぎ倒して斜面の岩石を落下させ、家屋のいくつかは高処に打ち上げられたがその殆どは引き波で海中に持っていかれた」。(以下略) この他にも木の枝に海藻が引っかかっていたりリアス式海岸の地形により津波が高所にまで到達したことなどが記述されている。
↑吉濱村字甫領の雷神杉の抜かれし図
〈高台移転と新沼武右衛門〉
明治の三陸大津波で甚大な被害を受けた吉濱村の村長、新沼武右衛門(ぶえもん)は高台移転を決意し現在の県道250号線付近(標高16m)以上の場所に家屋を建てるよう指導、これにより本郷の中心集落から全ての家屋が移転することになった。

↑新沼武右衛門
とはいえ全ての人が高台に移転できた訳ではなく、山側の低地や中間付近の高さに住む人もいたが他の市町村のように移転に対し大きな反発はなかったという。これは吉濱村が半農半漁であったことや武右衛門に対する村民の信頼感があったのではないかと言われている。この高台移転の後に発生した昭和8年の津波では犠牲者17名、全壊、流出家屋4戸と被害は激減している(※犠牲者のうち13名は他所からの移住者で河口付近に仮住まいしていた所を津波に襲われたとのこと)。
この時の村長、柏崎丑太郎(うしたろう)は明治29年の津波で家族全てを失うも前述の武右衛門に協力し、村の復興に尽力している。昭和8年の大津波後丑太郎は高台移転をさらに徹底、明治の大津波後に定められた場所より低地には住めなくなった。吉濱村はその後市町村合併を経て大船渡市三陸町吉浜となったが今も低地に住む人はおらず、その防災意識はむしろ当然のことのように引き継がれているとも言われる。東日本大震災では17mあまりの津波が到達したにも関わらず犠牲者1名流出家屋は4戸にとどまったことがそれを証明しているのではないかと思う。グーグルマップを見ても沿岸部は耕作地などになっており、居住地域は三陸鉄道の路盤付近まで引き上げられているのが分かる。明治の大津波以降提唱された高台移転も他の町では賛同を得られなかったり時間の経過と共に形骸化するケースが見受けられるが、武右衛門や丑太郎の行いは120年後の住民の命を守ったと言える。その一方で震災後多くの人が訪れた「津波石」も最近は見学者がめっきり減り、地元の人も風化を懸念しているという。自分は今回津波石がきっかけで吉浜の津波歴史を調べることになったが、些細なことでもいいので過去の災害に学び防災に関心を持つ人が少しでも増えてくれたらいいなと思う。
〈参考文献〉
碑の記憶 岩手日報 2020年10月14日掲載分
吉浜の津波の歴史 木村正継著
風俗画報・大海嘯被害録
三陸つなみ いまむかし 山川健著・イーピックス
哀史三陸大津波 山下文男著・河出書房新社