気仙沼の民宿(というか民泊)ではこの日同宿したご夫婦や宿のご主人、奥様と楽しいひとときを過ごすことができた。超弩級の食事も去ることながら、同宿したご夫婦と広島ネタで盛り上がったり、ご主人からは船員時代の話や震災のことなどを色々伺い民宿ならではの経験をすることができた。同宿のご夫婦とご主人らに別れの挨拶をして仙台方面に向かった。
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歌津では三陸大津波の石碑をいくつか調べ、商店街「ハマーレ歌津」でクリームサンドやお菓子などを購入した。志津川のさんさん商店街は駐車場が満車になるくらいの盛況振りだったのでパスし、398号線経由で大川小学校を再度見学することにした。
初めてここを訪れたのは2011年8月だったが、それ以降ほぼ欠かさずここを訪れるようにしている。一時は解体も議論されたが、現在のように伝承館として保存されたことにより今もこの場所を訪れる人がいるのではないかと思う。今日もガイドの方が東京からの家族を案内しているところに出くわしたが、ガイドを担当していたのはご遺族の佐藤さんだった。
三角地帯には地元の人が手入れをされたヒマワリが風でゆらゆら揺れていた。2011年8月にこの場所を訪れた時は橋桁が流されていたため一旦上流側まで戻って対岸に渡り、志津川のホテル観洋まで行ったことが思い出される。この後雄勝町で海産物を購入し、これまで買ったものやブロ友さんから頂いたお土産をまとめて宅急便で発送しておいた。
今日は名取市のホテルに泊まるのでチェックイン前に山元町へ寄ることにした。山元町も平野部は高台がないためこのような盛り土の丘がいくつか作られている。写真の丘は高さが約9mくらいあるとのこと。
山元町には自分がブログを開設した頃からお世話になった故・すなすなさんのお墓があるのでそちらでも手を合わせてきた。震災直後は全く被災地と関わりのない自分を現地で案内してくれたり、ニュースではわからない地域の情報もご教示頂いた。自分とお会いする時はいつも穏やかな口調で、地元のお土産も頂いたりしたがお元気なら今回もどのような話を聞かせてくれただろうか?と思わずにはいられなかった。
山元町といえば常磐山元自動車学校の惨事も忘れてはならない。こちらも山元町に来た時は欠かさず手を合わせるようにしているが、以前娘さんが犠牲になった大久保さんご夫婦とお会いして話を聞かせて頂いたことは今もはっきり覚えている。今日は誰もいなかったがお花などが真新しかったのでお参りされた方がいたのだろう。
やがてホテルのチェックインの時間が近づいてきたので名取市へ引き返した。明日は福島方面に行く予定だったが台風による荒天が予想されるので缶詰めになるのではないかと思う。明後日も新幹線が運休になったらもう1日仙台に滞在せざるを得ないかもしれない。
台風許すまじ!






