朝大船渡のホテルで目を覚ますと窓の外からきれいな日の出を見ることができた。どうやら今日は晴れそうなので朝食を済ませて早めにホテルをチェックアウトした。三陸道経由でまず向かったのは三陸町の越喜来(おきらい)地区だ。以前は三陸駅も委託のおばちゃんが詰めており、三鉄グッズなどを買っていたが今は無人になっている。越喜来は小学校の非常階段が迅速な避難に繋がったとして有名になったが、高齢者を助けようとして犠牲になった大学生の瀬尾さんのことが忘れられないということもある(詳しくは↓リブログ記事を参照)。
越喜来湾を見下ろす高台には祈りの場所が作られており、犠牲となった人たちを悼んで合掌した。穏やかな海を見ていると真っ黒な海が町を呑み込んだことがとても信じられなかった。
吉浜や唐丹(とうに)を過ぎ、峠を下ると三陸鉄道の鉄橋や日本製鉄の工場が見えればもう釜石市である。釜石にはヤフー時代にブロ友さんがいたこともあり、忘れられない場所でもある。2011年8月に市内で宿泊した頃は津波の痕跡が生々しく残っていたが今はそうした爪痕を想像することも困難になってしまった。市内でお土産を調達したあと鵜住居地区で三陸大津波の碑を探索、そこから峠を越えればもう大槌町である。
町の入り口にあるショッピングセンター「マスト」が見えてくると大槌町に来たな、という気分になる。メインの通りを進み、その先にある図書館の隣の空き地にはかつて大槌町役場の庁舎があった。今は小さな東屋の祈念場所があり、ここでも犠牲になった方々を悼んで合掌した。次に向かった高台から見下ろす大槌町はかなり建物が増えており、13年という時間の流れを感じずにはいられなかった。この後マスト内の書店で書籍を購入して気仙沼方面に引き返した。
今日は陸前高田市の資料館がオープンしていたので帰りに見学してみた。こちらは化石や土器、生物や民俗資料などかなりのジャンルを網羅しており、じっくり見学していたら1時間あまり経っていた。これだけの内容を無料で見学できるのはありがたいことである。
最後に屋上のデッキから町を見下ろすと、更地の中に米沢商会さんのビルが残っているのが見えた。あの日津波はビルの排気塔付近まで到達したが、今はそれを見下ろすことができるようになってしまったのだから尋常でない高さをかさ上げしたのだと実感する。駆け足ながら松原公園の伝承館を見学して今日の行動は終了、気仙沼の民宿にチェックインした。
※明日は名取市まで戻り、16日は福島を回る予定にしているが台風の進路次第では撤収日を繰り上げなくてはならないかもしれない。今回も上手く反れてくれれば良いのだが…。