登米市のホテルを8時頃出発、志津川インターで三陸道を下りて国道45号線を気仙沼方面へ向かう。志津川の「さんさん商店街」はまだオープン前だったが駐車場はかなりの車が停まっていた。急ぐ時は三陸道を行くのだが、沿岸の風景を見るなら下道を走る方が都合が良いのでこのまま進む。



 いつものように気仙沼バイパスの手前で市内方面に曲がり、お決まりのルートで市場のある方向へ車を走らせる。まずは混み合う前に「海の駅」で色々調達しようと思っていたが既に平面駐車場は満車で屋上駐車場に誘導された。


 ここは観光客向けの市場なので本当の「魚市場」ではないが商品も充実しているし「ホヤぼーやショップ」があるのもありがたい。阿部長商店の新商品も色々あったので何点かゲトした。


 お昼には少し早かったが混み合う前に鹿折の食堂でハーモニカ(メカジキの背ビレ部分)定食を注文。箸でスッと身が離れるくらい柔らかく煮付けられていた。
 この後福興マルシェ時代にお世話になった「やおりき」の店主夫妻に顔を出しておこうかと思ったが生憎不在であったため陸前高田市へ向かった。



 混み合う道の駅を横目に震災遺構のひとつ「定住促進住宅」を訪ねてみた。4階まで津波が突き抜けた跡が残る建物はあの日の津波の波高を語る「証言者」と言える。内部にはまだ冷蔵庫や机などがそのままになっており、震災直後に捜索を行って以降時間が止まっているように見える。内部は公開されていないが、もしこの中を見ることができたら「あの日」の状況を知る手がかりになるのではないかと思う。震災前はこの隣にホームセンターなどがあったが今は更地やグランドに変わってしまった。


 道路の反対側は松原公園になっており、震災後に植林された松の苗木は自分の背丈より高くなっていた。震災前のように松原が成長するまで自分は生きていまいが、何世代か後の人たちは先人の苦労を理解してくれるだろう。


 今日の宿泊地は大船渡なので盛駅で鉄オタの甥っ子用に三陸鉄道グッズを何点か購入した。因みに右側の車輌2台は「ゴルゴ」と「ポケモン」のラッピング車輌だった。他には市内の書店で震災関連の書籍を購入。


 大船渡港の防潮堤には過去に襲来した津波の波高が記されており、東日本大震災の津波は慶長地震津波に次ぐ高さであることが分かる(千年に一度と言われた貞観地震津波はどの位だったのだろうか?)。震災時の津波の高さを示す表示は市内のあちこちにあり、あらためてあの津波がいかに恐ろしいものだったかを痛感する。こうした場所に宿泊する時は避難できる高台の位置を把握しておくべきである。

 ※明日で現地の行動も最終日、夕方までにレンタカーを仙台に返却して終了である。何かあっという間だったような気がするなぁ…。