アメブロの投稿ネタにあった今回のお題「ブログを始めたきっかけ」について書いてみようと思う。このことはヤフーブログ時代に何度も書いたが東日本大震災が発生したことが始まりだった。自分は本来ネットやSNSなどには興味がなく、どちらかというと醒めた目で見ている所があった。
震災直後はテレビやネットなど様々なニュースを閲覧し、情報を得ていたが広範な見方ではなくもっとピンポイントで個人レベルの被災状況を知りたいと思うようになった。
そのような時たまたま目にとまったのが被災者のブログだった。メディアが次第に美談やいい話ばかり報道する中で生々しい現地の様子を伝えるブロガーさんたちの記事は自分に強い影響を与えることになる。そうして始めたのがヤフーのブログで開始したのが2011年6月末だったと思う。当時の自分はまだガラケーで写真は1枚だけ、掲載も500文字以内という限られた投稿だったが我ながらよくあんな条件でやっていたなあ、と思う。手探りでブログを続けながら宮城や岩手のブロガーさんと何度かコメントしているうちにお互い登録して頂いた方も出てくるようになり、先日海産物を送って頂いた石巻のブロ友さんは大川小学校の記事がきっかけでお付き合いさせてもらうようになった。震災直後は西日本住みの自分からすれば三陸は遠く離れた場所という感覚だったが、2011年8月に仙台行きを決意して以後5月と8月に三陸を訪れるのが恒例となった。ブログが縁で今も現地でお会いするブロ友さんもおられるが、他のSNSに移ったりヤフーがブログを閉鎖したことなどで疎遠になった方々がいるのはちょっと残念ではある。自分のブログも2011~12年頃の記事はアカウントの引き継ぎに失敗して消えてしまったが、それ以降のものは何とかアメブロに移すことができた。
ざっと振り返っても山元町、仙台市、石巻市、女川町、陸前高田市、釜石市などのブロ友さんには現地を案内した頂いたり心尽くしのおもてなしを受けるなど色々お世話になった。また、震災の支援がきっかけで県外のブロ友さんとやり取りした方々も少なくない。
東日本大震災はその惨状を思うと起きてほしくなかった災害であり、震災がきっかけで多くの方々と繋がりができたり三陸の素晴らしさを再認識することになったのは何とも複雑な気持ちではある。しかし起きてしまったことは元に戻せない以上あの災害を記憶し、将来に備えることが自分のやるべきことなのではないかと考えている。
1枚目…多くの生徒や職員らが犠牲になった常磐山元自動車学校
2枚目…陸前高田市消防署
3枚目…釜石市只越町
4枚目…南三陸町防災対策庁舎 (2011年8月筆者撮影)