東日本大震災以降三陸の沿岸部を訪れるようになったが、甚大な被害を受けた町では追悼のための慰霊碑などが建てられていることが多い。碑に刻まれた名前を読んでいると犠牲になった方々はどのような人生を営んできたのだろうか、と思わずにはいられない。また、場所によっては年齢も明記されていることもあり、年端もいかない幼児や子供たちの名前を見つけると胸を揺さぶられる思いがする。

 先日新聞に目を通しているとオピニオンの欄に震災の慰霊碑ついて書かれており、読んでいると「ハッ」とさせられる内容が取り上げられていた。
 その中に災害社会学者である金菱清教授(前東北学院大学・現関西学院大学)が慰霊碑の名前について興味深い分析をしている。生きた証として碑に名前を残そうとする遺族がいる一方で「故人が逃げなかったことに対し『愚か者』と名指しで責められている気がする」と感じる人もいるそうである。自分が以前現地で話を伺った方の中に「希望を聞かれたが慰霊碑には(故人の)名前を入れなかった」と話す人がおり、何かしら思いがあってのことだろうとは思った。昨今ではプライバシーや個人情報の保護などが問題になっており、そうした絡みもあったのかも知れないが敢えて碑に名前を刻むことを辞退するのは自分には推し量れない苦悩や思いがあったことを今更ながら考えさせられた。

 そうした遺族らの思いを汲んで名前を後から加えたり逆に取り外すことができるようにした慰霊碑も建立される傾向にあるという。また、南三陸町では犠牲者の名簿を町役場で閲覧できるようにしてその場では見れないようにしているとのこと。気仙沼の復興祈念公園(↑上写真)では「ご遺族の心情等にご配慮いただき、銘板に近接しての写真撮影はご遠慮ください」との注意書きがあった。


 慰霊碑の名前に接するということは「犠牲になった人たちを忘れてはならない」との思いを喚起させる役目もある一方「安易な気持ちで故人の名前に接する」とはどういうことかを色々考えさせられた。

※1枚目写真…釜石市鵜住居 釜石祈りのパーク

※3枚目写真…石巻市雄勝病院犠牲者の碑