11月3日、文化の日は好天の予報だったので久しぶりにセリカで出かけてみた。今回は江の川(ごうのかわ)流域で目に付いたものをピックアップすることにしたが、まずは県北の要衝、三次(みよし)市まで進出し市内で食糧を調達の後国道375号線に沿って島根方面に進む。三次市は山陰と山陽街道のジャンクションであり、江の川や馬洗川、西城川も合流するため舟運が盛んだった頃は大変賑わった町である。鉄道も芸備線、福塩線、三江(さんこう)線が三次市を起点や中継点にしていることもあり現在も広島県北部の重要な位置付けである。

 三次市から先の375号線は江の川をトレースするように島根県の大田市まで続いているが、JRの旧三江線もこれに近い(※三江線の終点は江津市)。


 私事だが、今から30年くらい前に地元のタウン情報誌から「国道375号線を起点の呉市から終点の島根県大田市までツーリングして沿線のレポートを書いて欲しい」という自分には場違いなオファーがあり、バイクで実走レポを投稿することになったのだがそれがきっかけで江の川沿いのルートはプライベートでもバイクや車で訪れる機会が増えた。当時は国道とはいえ車の離合も困難で曲がりくねった場所が多かったが三江線は現役だったし過疎とはいえ商店や諸施設など人の営みはまだまだ感じられたと思う。現在の国道は殆ど2車線化されたりトンネルでショートカットされたため移動時間は劇的に短縮されている。



↑三江線のイメージキャラクター「石見みえ 24歳」



↑重複区間の国道54号線から分岐して江の川沿いに375号線を進むと唐香(からこう)地区にレンガ造りの遺構が残っている。これは旧江の川水力発電所の名残で起工は1917(大正6)年、出力3000kwの発電機が設置されていたという。第一次大戦の賠償としてドイツ製の発電機が持ち込まれたとされており、電力需要のあった呉市の海軍工廠に送電されていたらしい。
 この発電所がいつから使われなくなったのかは分からないが、自分が初めて訪れた91年にはすでに機械類は撤去されていた気がする。導水路は閉鎖後もしばらく水が流れていたがそれも現在は埋められて分からなくなっている。




↑先ほどの発電所跡から島根方面に進むと唐香橋がある。竣工は1964(昭和39)年6月、制限荷重2tの吊り橋で印象的だったのか今までに何枚か写真を撮っている。以前は渡し船で対岸を行き来していたがやがて橋がかけられることになる。しかし当時の橋は大雨などでしばしば流出したため現在の吊り橋になったとのこと。今回も上写真(98年頃?)と同じく所木(ところぎ)駅側から撮影したが対岸の民家はかなり解体されたり空き家になっていた。以前はタクシーの営業所や酒屋などがあったと思ったが国道の拡張などで無くなったのかも知れない。

↑唐香橋は重量的にセリカでもOKなのだが幅がヤバそうだったので歩いて対岸に渡った。車もめったに通らないようなので橋からぼんやり川を眺めてみるがもし渡っている途中に車が来たらエスケープゾーンがないので走って渡り切るしかないかも。


↑セリカを置いていた場所に戻り、何気なく吊り橋のワイヤーを見上げていると電柱の上にはサイレンらしいものが残っていた。ダムの放流や災害時に鳴らしていたのだろうか。



↑信木(のぶき)~式敷(しきじき)区間を走行中のキハ40。撮影日時は不明だが、キハ120に改変前なので多分92~3年頃と思われる。

 国道はこの先で門田トンネルにより蛇行区間をパスしているが式敷、香淀(こうよど)駅跡にも立ち寄りたかったので旧道へ迂回した。

↑現役当時の式敷駅(上写真)と現在の様子。荒れ放題という訳ではないが草も伸びて廃止になったことを痛感する。「駅前」には以前ガソリンスタンドや日用品店、車の修理屋さんなどがあったが全て廃業していた。↓下写真は式敷駅前。セリカの左側にあるとんがり屋根が式敷駅の待合室。



↑式敷から香淀駅に向かう途中で第2可愛川(えなかわ)橋梁を解体中の現場に遭遇。JR西日本では譲渡した施設以外は解体する方針らしいが全て完了するにはあと10年くらいかかると見られている。ハタから見るともったいない気もするが施設の維持や固定資産税などの費用を考えるとやむを得ないのかも知れない。


↑香淀駅は片側ホームに簡単な屋根とベンチがあるだけの「停車場」といった雰囲気だが待合室はログハウス風の温もりが感じられる駅舎だった(施錠されていたが)。周辺は最近だれかが草刈りをしたのかレールが撤去された以外当時と変わらないような気がする。


↑今回訪れた駅跡で当初の面影を一番とどめていたのが作木口(さくぎぐち)駅であった。付近は鉄道公園として保存されているようでレールや駅名表示看板なども撤去されず残っていた。とはいえ駅の施設としてはホームや庇付きのベンチ、駐輪場といったあたりで待合室の類いはもとからなかったと思う。また、「作木口」というだけあって集落や役場などは離れた場所にあり、「駅前」の施設と言えば公民館くらいだろう。


↑その公民館前には「訪問証明書」が入ったガチャガチャが置かれており、200円だったので回してみた。中身は硬券を模した入場券風のキップ?が入っていた。このガチャガチャは他にも宇都井(うづい)駅や伊賀和志(いかわし)、口羽(くちば)駅などにも設置されているのでコンプリートするのも面白いかも。なお、本券はあくまでコレクションなのでJRの運賃等に対する効力は全く無い(利用不可)。
 沿線の見所はまだまだあったのだが秋の夕方は日没も早いので今回は作木村で撤収することにした。



↑作木村にあった「川の駅」でご当地土産を買って帰った。栃の実が入った餅と鮎の焼き干し、ゆずチョコレートにわさびなめ茸。鮎の焼き干しはそのままでもイケるが汁物に入れるといい出汁が出そう。わさびなめ茸はご飯がススムくん。

 思えば自分が初めて江の川流域を訪れて30年以上になるが、何度も訪れるうちに今も盛んな川漁や舟運の名残をとどめる日本の原風景的な風土へ関心が高まって行ったのではないかと思っている。その一方で過疎という現実も通りすがりの自分でさえ「これからどうなるのか」という危機感も抱かずにはいられなかった。その最たるものが2018年4月で廃止された三江線であろう。よく「鉄道を廃止すると地域が過疎化する」と言われるが、むしろ過疎化が進んだから鉄道利用者が激減し、廃止に追い込まれたとする意見もある。こうした現状を知る一方他所者の自分に過疎対策の名案がある訳もなく、江の川で楽しませてもらっている反面複雑な気持ちではある。せめてオーバーツーリズムにならない程度に多くの人に訪れてもらえれば、と思う。

※記事中では鉄道路線や国道など便宜上広島側を起点と書いているが実際の公式資料は異なる場合もあることをお断りしておきます。

 〈参考文献〉
 三江線88年の軌跡…長船友則著・ネコパブリッシング

 JR三江線途中下車…三江線活性化協議会

 作木村村史

 江の川中流部・大和村…旧大和村役場企画課