5月と8月に三陸を訪れる時、現地で書店があると立ち寄るようにしている。コミックや趣味の本を買ったりすることもあるが、本題は震災関連の書籍を探すのが目的である。震災から12年以上経過すると西日本の書店でそうした書籍を目にすることはまずないが、東北三県では今も新たに関連書籍が出版されているのを目にする。特に地元の新聞社や在野の研究者、語り部さんなどの出版物は発行部数が大手出版社には及ばないがそれらとはまた違う視点の内容を取り上げているものが多いと感じる。書籍の他にも伝承館や資料館などで配布・販売されている冊子やパンフレットも貴重な資料である。
↑今年の8月に現地入りした時、気仙沼の書店でこの書籍を見つけたので購入した。本書の主題は震災で子供を亡くした親の葛藤や苦悩などを取り上げ、そうした思いを抱えた遺族の人に取材している。命の尊さは皆同じであるが、本書を読むと子供を亡くした親の悲しみや苦しみはさらに深いものだと改めて痛感した。また、遺族の方々と接する時に安易な励ましはやってはならないと言われるが、「遺族に寄り添う」ことすら自分にはおこがましいことではないかと思うようになった。自分は現地で様々な方から話を伺う機会があったが、遺族の本当の悲しみや苦しさは実際に身内を亡くした者にしか分からないのではないか?という無力感は拭えない。
同書の第五章では七十七銀行女川支店で息子の健太さんを亡くした田村孝行さんと妻の弘美さんのことが取り上げられているが、田村さんとは以前女川の慰霊碑にお参りに訪れた時お会いしたことがあった(↑上写真左側が田村さん)。田村さんとの会話には色々考えさせられるところがあったが、中でも「このような辛い思いをするのは我々で最後にして欲しい」と言われたことは忘れられない。これは遺族の方々の共通の願いではないかと思うが、常磐山元自動車学校で娘さんが犠牲になった大久保さん夫妻にお会いした時も同じような心境を語られた。田村さんは終始朗らかな口調で話していたが心の底の思いまでは残念ながら通りすがりの自分には分からなかった。
この中で証言している遺族の方々の言葉はとても重いものがあるが、そうした中で体験したマスコミの無神経な対応や心ない取材の記述を読むと憤りを禁じ得ない。本人の証言がメディアのシナリオ通りにねじ曲げられたり興味本意な幽霊話目的で遺族に取材を持ちかける不心得者も少なくないという。自分は震災以降「大切な人を何の前触れもなく突然失う」とはどういうことなのか色々考えさせられるようになったが、そうしたことに無神経な「マスゴミ」がいるのも事実である。
普段生活していると「死」はあまり実感がなく、どちらかというとタブー視される傾向にあるが遺族の声に耳を傾け、自分のこととして考えて欲しいものである。