もうすぐ8月も終わり、学生なら夏休みも終わって新学期が始まる学校が多いと思う。学生時代なら夏休みの終わり=夏の終わりというイメージがあるが、他にも「夏の甲子園が終わった」「プールが営業を終了」「夜に虫が鳴き出す」などイメージは様々だと思う。自分は震災以降盆休みに三陸を訪れるようになり、仙台から広島に戻ってくると「今年の夏も終わったな」と感じるようになったが、それ以前の頃はどうだったのかちょっと振り返ってみた。
かつてエンデューロレース(耐久モトクロス)にウツツを抜かしていた頃('91~2001年)は4メーカー合同やホンダ二輪中国が主宰していたシリーズ戦に参戦していたが、8月最後の日曜日にはシリーズ戦とは別枠のスポットで6時間耐久エンデューロが開催されていた(主宰はホンダ二輪中国)。この6耐は夏の祭典として定着しエントリー台数もかなりあったが、主催者側がホンダの元ワークスライダー東福寺保雄氏をゲストライダー兼オフィシャルとして招いたり、レースクイーンも闊歩するなどかなり力を入れていたことが伺える(バイク雑誌が取材に来たこともあった)。当時自分が出入りしていたバイク屋の参加メンバーとツルんで土曜の午後に現地入りし、ピットを設置するとバイクを整備したりビール片手にバカ話に興じていた気がする。夜はスキー場のロッジでビンゴ大会や東福寺氏のトークショーなどで盛り上がった(※コースはスキー場の駐車場や周辺の林道を使用していた)。
6耐は初期の頃からエントリーしていたが、当時の写真やパンフレット等は殆ど残ってなかったので以下の写真が唯一の記録となる。因みにゼッケン75が筆者。
↑友人が水タンクを持っているのでオーバーヒートか何かでピットインしたのだろうか。コースにはハンバーガーヒル?と言われたツルツルの登り坂があり、スタックするとラジエーターから水蒸気を吹き出すバイクが続出した。
↑相方とライダー交代。1時間くらいでチェンジと給油を行っていた気がする。当初は1人で6時間走り切ったこともあったがレギュレーションで2名以上エントリーしなくてはならなくなったことや上位入賞を狙うため相方を探すことに。
↑最後に参加メンバーで記念撮影。自分が出入りしていたバイク屋のメンバーが2/3で、後は懇意にしていた広島のバイク屋のライダーさんや同行クルー。ピットも隣り合わせにしてピットクルーやヘルパーさんなどを融通するなど互いに協力していた。
掲載した写真は日付がないのではっきりしないが、ナンバー付きの市販車ベースでエントリーしているので98年か99年頃と思われる。この時の成績も判然としないが市販車250ccクラス10位以内には入っていたはず。この後さらに戦闘力の高い競技専用バイク(公道走行不可)を購入し、250ccのオープンクラスで2位を獲得したのが6耐最高位だった(恐らく2001年)。
自分は2001年末でエンデューロレースを引退したので詳しいことは分からないが、この6耐も程なくして終了したらしい。今ではエンデューロレースをやろうにも市販のオフロードバイクが絶滅に近い状態でメーカーもエンデューロレースの主催から手を引いたのではないだろうか。会場となったスキー塲も経営不振で閉鎖、現在は荒れ地になっていると聞いた。あれ程盛り上がったエンデューロレースも盛者必衰、時の流れの無常さを感じずにはいられない。ロードバイクのライダーが鈴鹿8耐=夏の祭典だったように自分はこの6耐が夏のメインイベントであり、これが終わると「今年の夏も終わったなァ…」としみじみしたものである。オッサンの「昔は良かった」的なことをダラダラ書いてみたが最後まで目を通して戴きありがとうございました。
皆さんはどのような時に夏の終わりを感じるでしょうか?





