今朝も8時前にホテルをチェックアウト、三陸道経由でまずは越喜来地区へ向かった。越喜来には三陸鉄道の「三陸駅」があり、いつもなら駅で三陸鉄道グッズを購入するのだが昨年お話しした委託のおばちゃんが「ここも無人になる」と話しており、本当に無人駅となっていた。

 プラットホームで写真を撮っていたら列車が近づいてきたので「あまちゃん列車かっ!?」と色めき立つもやって来たのはレトロ風車輌だった。



 三陸駅から少し離れた場所に越喜来湾を見下ろす場所があり、そこにある鎮魂碑にお参りするのが恒例になっているので今回もそちらへ車を止めた。地区で犠牲になった方々を悼む場所でもあるが、中でも高齢者を助けようとして行方不明になった北里大学の瀬尾佳苗さん(当時20)の友人や家族は定期的に訪れているようだ。瀬尾さんのことについてはリンク先を参照して下さい。

 越喜来から唐丹(とうに)を過ぎて峠を下るとそこは釜石市内である。見慣れた三陸鉄道の鉄橋や日本製鋼の工場を過ぎ、駅近くの駐車場に車を置いた。シープラザや釜石駅、民俗資料館などを見学するが雨が降り始めたので早々に移動となる。三陸道でイッキに鵜住居まで走り、駅前の慰霊碑や防災資料館に到着。

 鵜住居の慰霊碑がある場所は以前防災センターがあった場所だが、付近は大規模な再開発で震災前の様子を想像することは困難になっている。写真右側のカーブした衝立状のモニュメント上端が津波の遡上高さになっており、これは防災センターの二階天井付近の高さでもある。同館は屋上に避難できるようになっていなかったため助かったのは極わずかという惨事になってしまった。地区の子供たちは迅速な避難で「※釜石の軌跡」と言われるようになったが、その一方で防災センターで多数の犠牲者が出たことも忘れてはならない。

※…「釜石の奇跡」という呼称は現地釜石市では用いていないとのこと。

 鵜住居の峠を下るとそこは最終目的地の大槌町となる。町の入り口にある「シーサイドタウン マスト」で買い物に立ち寄るが2011年8月に訪れた時は津波の直撃で閉鎖され、駐車場には集中捜索のために集結した機動隊のバスがずらりと並んでいた。今はそうした状況を感じさせるものは無く、地元の人たちが買い物に訪れていた。


 大槌町ではワイパーが追い付かないくらいの土砂降りとなり、旧役場があった場所「↑上写真)をお参りするしかできなかった。それでも以前空き地が目立った市内には様々な施設や建物が増え、震災後の「新しい町」に変わりつつあるという印象は受けた。釜石や大槌町は駆け足になって消化不良の感は否めないが三陸道経由で気仙沼に引き上げることにした。明日はいよいよ現地で行動できる最終日、南三陸町や大川小学校などを回る予定。