かつての国鉄がJRに民営化されて久しいが、地方を訪れていると未だにその痕跡を見ることがある。「国鉄型車両」や「国鉄色」といったキーワードも鉄道マニアの郷愁を誘ってやまないが、これまでに自分が目にしてきた国鉄の残像をいくつか取り上げてみた。


↑緩急車(車掌車)は貨物列車の最後尾に連結されるのがお約束だったが、ブレーキ性能の向上や合理化などで現在は定期運用からほぼ全廃された(但し現在も特別な編成時などに見かけることがある)。



↑腕木式信号機もローカル線ではわりと最近まで現役だったと聞く。腕木が横になっている時は赤、タテだと青だったか?切り替えも手動レバーで操作しているのを何かの映像で見た記憶があるのだが…。



↑改札口には駅員さんがいて硬券にハサミを入れたりキップを回収していた。駅員さんも手持ち無沙汰になるとハサミをカチカチ鳴らしたりガンマンみたいにクルクル回す人がいた。写真の改札口はゲートが鉄パイプ製だが木製の「もぎり台」みたいなバージョンもローカル線では健在だったりする。


↑ターンテーブルはSL時代には欠かせない設備であった。機関庫や折り返しのジャンクションなどに常備されていたが電化によって殆どが撤去されたと思われる。写真のターンテーブルも草に埋もれていたが、製造プレートは辛うじて読み取ることができた。モノはなんと横河橋梁製作所(現在の横河ブリッジ)が大正6年に製造、発注は鐵道院という産業遺産レベルのものだった。地元有志の方々はこのターンテーブルを整備し、後世に伝えようと考えているそうである。



↑敷地の隅になにやらよく分からない遺構が残されていたがこれもSL時代のものらしい。詳細は不明だが機関車の煤をここで落としていたとも聞く。こうした場所には給水タンクや石炭積み込みホッパーもあったはずである。



↑こちらもSL時代の遺構と言える洗面台。蒸気機関車に乗っていると顔や服が煤などで汚れるためホームには洗面台が欠かせなかったという。また、長距離夜行列車を利用する人などは停車時間に歯を磨いたり水筒に水を補給するのにも重宝されたようだ。



↑国鉄時代はトイレというより「便所」という雰囲気だったイメージがある。当然水洗ではなく、木造やブロック造りのものをよく見かけた。「暗くて怖い便所」もJRになると水洗式の明るいトイレに建て替えられた所が多いが地方には今も変わらないものが散見される。


↑とある無人駅の向かいに残っていた看板。「国鉄旅行連絡所」とは旅行代理店みたいな業務を委託されていたのだろうか? 写真の建物は誰も住んでいないようなので詳しいことは不明だが、鉄道利用者が多かった頃の名残かも知れない。マイカーが一般的になる以前はスキーや旅行など鉄道に頼る所が多かったのでこうした業務も成り立っていたのだろう。今ではみどりの窓口すら閉鎖される時代だから隔世の感がある。


 ※自分はガチの鉄道マニアではないが、国鉄からJRに移行した時をリアルタイムで経験した者として「昔は〇〇だった」的な観点で今回いくつか取り上げてみた。皆さんは国鉄時代の思い出など何かお持ちでしょうか?