仙台市若林区荒浜という地名は自分にとって忘れられない地名である。2011年3月11日の夜、ニュースで「仙台市若林区荒浜で200~300人の遺体が漂着しているとの情報があり…」と報じられたからである。当初は被災地の詳しい情報が入らなかったため「大変なことになっているらしい」くらいの認識だったが、この一報で未曾有の大惨事が起きていることを思い知らされた。
 こうした思いもあり、現地では追悼も兼ねて最終日に若林区荒浜へ行くことが多い。荒浜地区は居住禁止区域になったため震災遺構の旧荒浜小学校などの他には人の気配が感じられない状態となっている。その荒浜小学校から海岸へ向かう途中に貞山堀という運河があり、そこを渡るために深沼橋を通ることになる。深沼橋は津波の直撃を受けているが奇跡的に目立った損傷もなく今もそのまま利用されている。



 ↑深沼橋から海岸方面を望む。後方にポツポツ残っている松の木が海水浴場のあった辺りで震災前は松林が広がっていたという。多数の松も津波で流されたり枯死するなどしてかつての面影は無くなっている。松林の手前は路線バスの終点になっており、夏には海水浴客などで賑わっていたことだろう。


↑震災後海岸に建立された慰霊観音像。震災前は松林のため海は見えなかった。


↑深沼橋から旧荒浜小学校方面を遠望。このように周囲から人の気配は感じられないが建物の基礎や門柱などが残っているためそこにかつて住んでいた人たちの痕跡を知ることができる。東北とは縁のない自分に震災前の光景を想像することは難しかったが、先日ふとしたことから震災前の深沼橋の写真を見る機会を得た。


↑こちらが震災前の深沼橋付近を撮影したと思われる写真。道の様子からすると海岸側から内陸部に向けてシャッターを切ったのではないかと思う。4枚目写真右端にヴィッツを止めている辺りが上写真の自販機付近ではないだろうか。ここは個人商店があり、その後方、白い二階建ての建物は地図からすると郵便局と思われる。震災前はこのように建物が密集していたため荒浜小学校は見えなかったが、震災後は別の町のように激変してしまった。


↑国土地理院発行の「仙台東南部」より。震災前はかなりの人たちが住んでいたことが分かる。郵便局の近くにはお寺もあったようだが現地では痕跡すらなかった。


↑グーグルアースで見た現在の荒浜地区。ほとんど更地になっている。



↑荒浜にはこうした基礎の一部が震災遺構として保存されている。自分は全くの他所者だが、ここに住んでいた人たちはどのような暮らしを送っていたのか、そして住み慣れた町から離れざるを得なくなるとはどういうことなのか考えずにはいられなかった。




 荒涼とした風景の中で咲く黄色いひまわりはいつも心を和ませてくれる。(左後方は旧荒浜小学校)