朝8時過ぎに志津川の宿泊施設をチェックアウト、支配人?の方に見送られて志津川を後にした。本来なら三陸道を走れば早いのだが、ここは敢えて下の国道45号線経由で気仙沼方面に進む。特に用事はなかったが歌津にある「平成の森」を久しぶりに訪れてみた。11年前はグランドに仮設住宅がずらりと並び、東北福祉大の学生さんが高齢者に様々なケアを行ったり「お茶っ子サロン」のような活動を行っていたのが思い出される。今は仮設住宅も全て無くなり、もとの芝生のグランドに戻っていた。
道の様子がすっかり変わった歌津や陸前小泉などを過ぎ、バイパスの手前で気仙沼市場の方向へ進む。市内にはいくつかの復興商店街があったがそれらも恒久的な店舗に変わったり閉業したお店もあって時間の流れを感じさせた。
海の駅でホヤぼーやグッズや海産物を調達し、宅急便で自宅に発送してもらった。二階では朝ドラ「おかえりモネ」の無料展示ブースがあったのでサクッと見学。
気仙沼市内を見下ろす安波山の麓に復興祈念公園が昨年整備されたので登ってみた。公園にはモニュメントや犠牲になった方々の名前が刻まれたプレート、トイレなどがある。震災当日津波は鹿折のバイパス近くまで押し寄せ、発生した火災は陸前高田市からも見えたという。その鹿折もかさ上げ終了後次第に災害公営住宅や商業施設が整備され、さらに大島も架橋されたこともあって大きく様変わりした。気仙沼は震災後新しい町として生まれ変わったが、この長い時間に耐えきれず復興を諦めたり転居した人も少ないないと思う。本来なら懇意にしている市内の「やおりき」さんご夫妻をお訪ねしたかったが、万一自分がお二人にコロナ感染させては取り返しのつかない事態になりかねないので今回は断念した。
陸前高田市も市内の区割りや道路の取り付けが激変しており、今までの土地勘が全く役に立たなくなってしまったが唯一のランドマークがこの「米沢商会」さんのビルである。本人の希望で解体されずに残したのは震災遺構としてだけではなく、震災前の町の痕跡(ランドマーク)として記憶に留めておいて欲しかったとのことである。
道の駅の隣には震災伝承館がオープンしていた(入館無料)。内部を撮影できなかったので詳しくお伝えできないが、津波で激しく変形した消防団のポンプ車や気仙川に架かっていた橋梁の一部の展示はその凄まじい破壊力を見せつけている。
震災から年月が過ぎると震災被害ばかりに目を向けるだけではなく、美しい景色や歴史、美味しい料理を楽しむという気分も生まれるようになった。今回は3年のブランクがあったがそれでも基本は震災を記録したり追悼に訪れるというスタンスは変わらないと思う。以前は聞かれなかったが、最近はこのような災害や重大な事故などが起きた場所を訪れて何かを学んだりすることを「ダークツーリズム」と言うらしい。改めてその定義を調べてみると自分がやってきたことはまさにダークツーリズムだったと気付かされた次第である。