東日本大震災で84人の死者・行方不明者を出した石巻市立大川小学校が震災遺構として整備され、7月18日から一般公開された。校舎に立ち入ることはできないが、併設された伝承館では震災を伝える展示物などを見ることができるという。
※大川小学校の惨事については震災直後から何故このような犠牲者を出してしまったのかという疑問を抱き、様々な情報を調べたり実際に現地に毎年足を運ぶようになった。当初の報道では「校庭から避難中に津波に巻き込まれた」という大まかなことしか分からなかったが、その後の情報や現地の人から伺った話などから「これは人災ではないか?」と思うようになった。この問題については遺族の方々が提訴し、県や市の敗訴が確定している。
大川小学校の保存についても様々な議論がなされている。地元の人でも「見るのが辛い」「あの時の惨状を思い出してしまう」など解体を望む声も少なくなかったが、卒業生を中心に保存活動に取り組んだ人たちがいたことが結果的に今回の震災遺構への保存に繋がった。特に震災当日津波に呑まれながら生還した只野哲也くんの訴えは印象的だった。
以前地元の人と話していた時、「あそこに校舎が残っていれば必ず足を運ぶ人がいるが無くなってしまえば誰も来なくなるだろう」と保存が風化を防ぐ役割もあることを言われた。現在の大川小学校付近は市街地から離れており、アクセスが良いとは言えない場所にあるが、それでも訪れる人が絶えないという。また、宮城県では新任の教員は大川小学校を訪れて学校防災に対する研修や命を預かることの意味を学ぶ場所として活用している。あの震災で失ったものはあまりにも大きかったが、自分は訪れる度に「我々はこの惨事を忘れず、過ちを繰り返さない」と思いながら手を合わせるようにしている。亡くなった人たちに意味を見出だすとしたらそういうことではないかと思っているからである。


