今回のブラタモリは呉市ということで地元民は色々興味深く見ることができた。友人らとLINEで「あそこは家の近所じゃ」とか「○○には△△があったよね」などと盛り上がってしまった。


↑灰ヶ峰から呉市を望む。戦時中は12.7センチ高角砲2基や観測所が設置されており、軍港防衛の要衝として一般人の登山は禁止されていた。当時の証言によると、呉軍港を狙った米機動部隊の艦載機は高知県沖から北上し、灰ヶ峰上空でUターン、市街地へ向けて急降下していったという。「この世界の片隅に」でも灰ヶ峰上空から覆い被さってくるグラマン編隊の様子が描写されている。


↑手持ちの資料(昭和9年版呉軍港案内)には当時の様子が色々掲載されているが、この頃はまだ防諜上の規制が戦争末期のように厳しくなく、海軍の施設もわりとオープンだったことが伺える。ただし本書には各所に「呉鎮守府検閲済・禁模写」の文字がある。

↑めがね橋は地名として残ってはいるが暗渠となって見ることはできない。左側の赤い建物は海軍の福利厚生施設「下士官卒集会所」で、宿泊施設や風呂、売店などがあった。戦後は海上自衛隊が使用していたが現在は空き物件になっている。「この世界~」では周作とすずがこの前で待ち合わせをしている。


↑集会所からさらに旧海軍用地方向へ進むと当時の松並木が続いている。当時は呉駅からの引き込み線や衛兵の番兵所などがあった。左側には海軍病院や軍法会議所、練兵場があったが海軍病院は地域医療センターに、練兵場は市民広場と名前を変えている。右側は海兵団の施設があったが現在は海上自衛隊の教育隊が使用中。正面突き当たりは海上自衛隊呉地方総幹部になっているが、これは呉鎮守府の施設を転用したもの。


↑ブラタモリでも紹介された旧海軍のドック。左側の建屋は艤装中の大和を隠すために作られたもの。


↑そう言えば以前呉軍港のジオラマを作りましたなぁ…。


↑からすこじまに現存する当時の魚雷積み込みクレーン。後方は海上自衛隊の潜水艦基地。


↑クレーンの対面にあるレンガ倉庫は当時水雷調整室や大砲庫として使われていた。現在は民間会社が倉庫として使用中。


↑からす小島から山手に行くとトーチカのような防空監視所や港湾監視所などが残っている。写真の監視塔は頂部に25ミリ機銃の銃座が据え付けられていたという。また地下には軍需工場を移転させるための巨大トンネルが掘られていたが現在入り口は封鎖されているのでうかがい知ることはできない。


※以前は海軍や海上自衛隊などを取り上げることはタブー視する風潮があったが、戦争の可否は別として当時の技術やネイビースピリッツを見直そうとする気運が高まっているのは地元民としては嬉しく思う。建造技術といったハード面だけでなく、海軍カレーや肉ジャガといったソフト面も町興しの1つとして生活に溶け込んでいることを実感する今日この頃である。



↑海自メシを再現してみた(金曜カレー)。

 つづく